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腕時計史 · MILESTONE — 第6章 機械式の復権と独立時計師
1999

セイコー スプリングドライブ実用化

ゼンマイで時を刻み、水晶で正確さを保つ——機械式でも電子式でもない第三の方式が、20年を経て製品となった。

§ 00 Overview

1999年12月、セイコーはスプリングドライブを搭載した腕時計を発売した。機械式と同じくゼンマイを唯一の動力としながら、その速度を水晶振動子と集積回路で制御する独自の調速機構を備える。脱進機を持たず、ゼンマイの力で回るグライドホイールが微弱な電力を生み、その回転を電磁ブレーキで精密に整える。針は段階を踏まず滑らかに流れ、月差±15秒の精度を実現した。最初の口径7R68は手巻き式で、当初は3種の限定モデルにとどまった。機械式の動力と電子制御を一つの機構に収めたこの方式は、着想から約20年を要した開発の結実であり、日本の時計技術が独自に切り開いた領域を示している。

§ 01 Background

機械式と電子式は、20世紀後半の腕時計を二分する別々の系統だった。機械式はゼンマイをほどく力で歯車と脱進機を動かし、規則正しい往復運動で時を刻む。脱進機は時計の心臓と呼ばれる一方、注油を要し、衝撃や磁気にも左右される繊細な部品だった。電子式は水晶振動子の高い等時性で精度を得るが、動力は電池に頼る。

この二つを一つにできないか。ゼンマイを動力としながら水晶の正確さで速度を整える、という構想は1970年代後半にセイコーの技術者によって描かれていた。だが構想と製品の間には長い空白が横たわる。電子回路を働かせるには電力が要るが、電池を積まないこの方式では、ゼンマイがほどける力だけから電気を取り出すほかない。そこから得られる電力はごくわずかで、回路を安定して動かすには長く届かなかった。実用化までの20年近い歳月は、この一点をめぐる格闘に費やされた。

§ 02 The Event

1999年、セイコーはスプリングドライブを搭載した腕時計を発売した。最初の口径は7R68で、手巻き式である。発売は同年12月で、3種の限定モデルとして登場した。ステンレスケースのSBWA001が500本、18金ケースのSBWA002が300本、クレドールブランドでプラチナケースのモデルが100本、合わせて900本にとどまる。いずれも日本市場向けで、パワーリザーブはおよそ48時間だった。

機構の核は、トライシンクロレギュレーターと呼ばれる調速装置にある。動力源はゼンマイのみで、ほどける力は歯車を介して針と調速機構の双方へ伝わる。歯車列の末端にはグライドホイールと呼ぶ円盤が置かれ、これが毎秒8回転し、固定コイル(ステーター)と組んで微弱な電気を起こす。発電された電力は水晶振動子と集積回路を動かし、振動子は毎秒32,768回の正確な信号を刻む。

集積回路はこの基準信号とグライドホイールの実際の回転を絶えず比べ、速すぎれば電磁ブレーキをかけて回転を整える。機械式時計の心臓だった脱進機は、ここには存在しない。往復運動の代わりに一方向の回転だけで成り立ち、機械・電気・電磁の3つのエネルギーを束ねて速度を制御する。これがトライシンクロレギュレーターの名の由来である。

効果は、まず針の動きに表れた。段階を踏んで進む機械式の秒針とも、一秒ごとに刻むクォーツの秒針とも違い、スプリングドライブの秒針は途切れなく滑らかに流れる。精度は月差±15秒に達し、当時の機械式が及ばない領域に入っていた。発売の数年前にあたる1997年、制動時に失われていた電力を回収する集積回路が実現したことが、長年の壁を破る決め手になったと伝えられる。

§ 03 Significance

スプリングドライブの意義は、機械式と電子式という二つの系統を、対立ではなく結合として捉え直した点にある。クォーツが機械式を脅かした時代に、両者を補い合うものとして一つの製品に結実させた例は、それまでなかった。脱進機を電子制御へ置き換えたことは、その部品が抱えてきた保守と精度の制約を、別の角度から解く試みでもあった。動力にゼンマイを用いる構造は、電池式のクォーツより大きな駆動力をもたらし、重い針を動かす余地も生んだ。

実用化の歩みはここから続く。2002年には限定ではない量産モデルが日本で売り出され、スプリングドライブは限定品から定番へと位置を移した。2004年にはグランドセイコー向けに初の自動巻き口径9R65が登場する。自動巻き化の開発は7R68の発売前から始まり、6年をかけて完成したものだった。9R65はその後も長く使われ、グランドセイコーを代表する口径の一つとなっていく。

セイコーは1969年のクォーツでも電子制御の先頭に立ったが、スプリングドライブはそれとも機械式とも異なる独自の原理である。輸入技術の組み立てから始まった日本の時計づくりが、量産と精度の先で固有の調速方式を生み出した事実を、この技術は示している。

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