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腕時計史 · MILESTONE — 第5章 クォーツ革命とクォーツショック
1977

セイコー スプリングドライブ着想

機械式の動力に電子の調速を組み合わせる——赤羽好和が1977年に思い描いた構想は、20年を超える開発の出発点となった。

§ 00 Overview

1977年、諏訪精工舎の技術者赤羽好和は、ゼンマイで動きながらクォーツ並みの精度を持つ時計を構想した。クォーツが時計界を席巻し、機械式が旧来のものと見なされた時代である。発想の核は、脱進機に代えて水晶振動子とICで回転を制御し、電池を持たずゼンマイの力だけで駆動する点にあった。当初クォーツロックと名づけられたこの構想は、ICの省電力化が追いつかず長く実用化を阻まれ、製品に結実するまで20年余りを要した。機械式と電子式のどちらにも収まらない調速方式の出発点である。

§ 01 Background

1970年代のセイコーは、クォーツ時計の量産で世界をリードしていた。1969年に世界初のクォーツ腕時計アストロンを送り出して以来、水晶振動子による桁違いの精度が市場の常識を変えつつあった。同じころLCDのデジタル時計も需要を伸ばし、機械式は精度で電子式に及ばず、過去の技術と見なす空気が強まっていた。

赤羽好和は、アストロン発売の2年後にあたる1971年に諏訪精工舎へ入社し、当初はクォーツ時計向けの電池開発に従事した。その後、温度変化による誤差を二つ目の水晶振動子で補正するツインクォーツの開発に加わる。この技術は年差数秒という精度をもたらし、彼はクォーツの精度を極める仕事の只中にいた。

一方で赤羽は、クォーツの正確さは認めつつ、動力までも電池に委ねる構造を当然とはしなかった。機械式が長く培ってきたゼンマイの動力と、クォーツの精度を一つにまとめられないか——この問いが、新しい構想の前提となっていく。

§ 02 The Event

1977年、赤羽はツインクォーツの開発に携わるなかで、これまでにない時計の原理を思いついた。ゼンマイを動力としながら、その速度を機械式の脱進機ではなく、水晶振動子とICによって電子的に制御するという構想である。電池を持たず、ゼンマイがほどける力そのものから発電し、その電力で調速回路を動かす。

赤羽はこの構想をクォーツロックと名づけた。その仕組みは、坂を下る自転車がブレーキで一定の速度を保つ様子になぞらえて語られる。ゼンマイで回る車が発電を兼ね、その回転を電磁的なブレーキで絶えず加減して目標の速度に保つ。こうすれば針は止まらず滑らかに動き、カチカチと刻む機械式の運針とも、一秒ごとに飛ぶクォーツの運針とも異なる、連続した動きが生まれる。

翌1978年には、ゼンマイ駆動で電子制御する時計の特許が出願されたとされる。構想を形にする作業は容易ではなく、赤羽が開発設計部門でクォーツロックの原理を説き、検証用の試作機を組み上げたのは1982年だった。この試作機は原理を確かめる狙いのもので、動作したのはおよそ4時間にとどまる。発電量に対して制御回路の消費電力が大きすぎ、長く動かし続けるだけの電力をゼンマイから取り出せなかった。

§ 03 Significance

クォーツロックの構想が示したのは、機械式と電子式という二項対立の外に、第三の調速方式があり得るという視点だった。動力をゼンマイに、速度の管理を電子回路に委ねる分担は、脱進機を時計の心臓とする前提を組み替える試みでもあった。機械と電子の双方に技術基盤を持つ作り手でなければ、推し進めにくい方向だった。この方式は今日に至るまでセイコー系の独自技術にとどまっている。

もっとも、構想の実現は長く阻まれた。わずかな発電量で調速回路を安定して動かすには、ICの省電力化が時代に追いつく必要があり、開発は途中で二度中断している。必要な技術が出そろうまでには長い歳月がかかり、その間に開発を担う技術者の世代も交代していった。

考案者の赤羽は、構想が製品として世に出る前年の1998年に世を去った。ゼンマイ動力と電子調速を融合させる発想が量産品へ至る経緯は、1999年の実用化に譲る。後発から出発した日本の時計技術が、既存の枠に収まらない方式を独自に探った一例として、クォーツロックの着想は日本時計の通史のなかに位置づけられる。

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