ロレックス エクスプローラー(エベレスト)
頑丈さは、語るより示すほうが強い——ロレックスは1953年のエベレスト初登頂を、エクスプローラーの物語に変えた。
概要
Overview1953年5月29日、英国隊のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが人類で初めてエベレスト山頂に立った。ロレックスはこの遠征にオイスター パーペチュアルを供給し、同じ年に探検家向けモデル『エクスプローラー』を発表する。頑丈で視認性の高い実用時計だった。だが登頂時に実際に着けられていた時計には諸説があり、英国スミス製だったとする見方も根強い。それでもロレックスは登頂の偉業を広告と結び付け、製品を冒険の物語の中に置いた。事実の細部以上に、時計を実在の英雄譚へ重ねるこの手法が、後の探検マーケティングの型を作った点で重要である。
背景
Backgroundロレックスは1920年代から1930年代にかけて、腕時計の二つの基盤を築いていた。1926年のオイスターでねじ込み式の防水ケースを確立し、1931年のパーペチュアルで全回転ローターの自動巻を実用化する。この二つが、過酷な環境で使える時計という土台になった。
1930年代以降、同社は自社の時計を遠征隊に託し、極限環境での性能を試している。ヒマラヤの高所では気温が氷点下数十度まで下がり、酸素も平地の3割ほどに減る。そうした条件で正確に時を刻めるかを、机上ではなく現場で確かめようとした。エベレストを含む高所遠征は、その格好の試験場だった。
1950年代初頭、ロレックスは用途を絞り込んだ実用時計の系列を整え始める。その一つが、登山や探検を想定した一本だった。視認性を高めた3・6・9の文字盤に、後にメルセデス針と呼ばれる時分針を備える。同社はこの方向性を1953年初頭に『エクスプローラー』として商標登録していたとされる。
出来事
The Event1953年5月29日、英国のエベレスト遠征隊を率いるジョン・ハント大佐のもと、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが世界最高峰の頂に達した。度重なる挑戦の末に初めて成し遂げられた登頂だった。報せはロンドンに届き、6月2日のエリザベス2世戴冠式の朝に発表される。国家的な祝祭と重なり、登頂は英語圏で大きく報じられた。
ロレックスはこの遠征にも複数のオイスター パーペチュアルを提供していた。後に『プレ・エクスプローラー』と呼ばれる一群である。登頂の3日前には別の隊員2人が山頂目前まで迫り、同系の時計を着けていたと伝えられる。そして同じ1953年、文字盤にエクスプローラーの名を初めて記したリファレンス6350を発表する。黒文字盤に3・6・9のアラビア数字、耐久性のあるオイスターケース。登頂の成功を受け、同社は広告で時計と遠征を結び付けていった。
もっとも、頂上で実際にどの時計が着けられていたかは判然としない。ヒラリーは後に英国スミス社の広告にも登場し、その時計を頂上へ携えたと述べている。山頂で着けていたのはスミスのデラックスだったとする記録もあり、現物はロンドンの博物館に収蔵されている。ノルゲイはロレックスのオイスターを着けていたと伝えられるが、これにも異説がある。確かなのは、ロレックスが遠征後にヒラリー、ノルゲイ、ハントをアンバサダーに迎え、金無垢のロレックスを贈った点である。登頂時の真偽が定まらないまま、エクスプローラーは冒険の象徴として売り出されていった。
意義
Significanceエクスプローラーの意義は、市場の側面に最もよく表れる。ロレックスは製品の仕様を並べる代わりに、実在の偉業へ時計を重ねてみせた。最高峰へ挑んだ人々が同社の時計を携えた——この一点だけで、頑丈さや信頼性は言葉以上に伝わる。性能を数値で示すのではなく、物語で証明する手法である。
この広告は、登頂時に何が着けられていたかという事実の不確かさを超えて機能した。山頂の真相が定まらなくとも、エクスプローラーという名と冒険の記憶が結び付けば、ブランドの語りは成り立つ。ロレックスはヒラリーらをアンバサダーに迎え、偉業と製品を長く結び続けた。後年、深海や極地の探検と製品を結ぶ企画にも、この型は引き継がれていく。
エクスプローラーはその後70年あまり、姿をほとんど変えずに作り続けられた。意匠の新しさではなく、冒険の物語が価値を支えたためでもある。深海のサブマリーナ、空のGMTマスターと並ぶ、陸の頂を担う一本としてプロフェッショナルの系譜に置かれる。スイス時計産業が用途特化の実用時計を広げていく時代に、ロレックスは物語によって製品へ意味を与える道を示した。冒険や探検を製品の語りに取り込む手法はやがて業界へ広がり、現代の時計マーケティングの原型の一つとなった。