AP ロイヤルオーク
ステンレスは廉価という序列を、金無垢を上回る価格で覆す——1972年のロイヤルオークは高級スポーツウォッチという領域を生んだ。
概要
Overview1972年、オーデマ ピゲはバーゼルの時計見本市でロイヤルオーク(Ref. 5402)を発表した。設計はジェラルド・ジェンタ。日本製クォーツがスイス機械式を脅かし始めるなか、取締役ジョルジュ・ゴレが起死回生策として企画したものである。八角形のベゼルに8本のビスを露出させ、ケースとブレスレットを一体に仕立て、ステンレスでありながら金無垢のドレスウォッチを上回る価格を付けた。当時は高級が貴金属、ステンレスは実用品という序列が支配的だった。ロイヤルオークはその前提を覆し、価値の基準を素材から設計の質へと移す端緒となった。発売当初は不評だったが、やがて高級スポーツウォッチという領域の出発点となった。
背景
Background1960年代末から1970年代初頭にかけて、スイスの機械式時計産業は日本製クォーツの台頭というかつてない圧力にさらされていた。精度でも価格でも電子式が優位に立ち、機械式の存在意義そのものが揺らぎ始めていた。オーデマ ピゲも例外ではなかった。当時は家族経営の小さなメゾンで、全モデルを合わせても年産は5,000本ほどにすぎず、電子式の波は小規模な作り手にも影を落とした。
当時の高級時計には、暗黙の序列があった。価値を担うのは金やプラチナといった貴金属であり、ステンレスは廉価な実用品の素材とみなされていた。ケースは丸型が主流で、紳士物の径は35〜36mmほど。スポーツモデルでさえ控えめな寸法に収まっていた。
こうした閉塞のなかで、市場からは異なる声も上がっていた。とりわけイタリアの販売網から、これまでにないスチール製の時計を求める要望が寄せられたと伝わる。日常でも特別な場でも着けられ、かつ上質な仕上げをまとった一本——その曖昧な期待が、常識を外れた設計を後押しする土壌となった。
出来事
The Event1972年のバーゼルの時計見本市で、オーデマ ピゲはロイヤルオーク(Ref. 5402ST)を公開した。設計を託されたのは、当時まだ広くは知られていなかったジェラルド・ジェンタである。発表の前年、取締役ジョルジュ・ゴレが販売網の求めを受けて設計を依頼し、ジェンタは見本市前夜の一晩で図面を仕上げたと伝わる。
着想源は深海潜水用のヘルメットだったと、ジェンタ自身が語っている。金属の襟をベゼルに、それを固定するボルトを意匠に取り込んだ。八角形のベゼルには8本の六角ビスが露出し、防水ガスケットもあえて見せる。径は39mmと当時としては大柄で、後に『ジャンボ』と呼ばれた。一方で厚みは7mm前後に抑えられ、薄型に仕立てられている。
この薄さを支えたのが、ジャガー・ルクルトの超薄型自動巻を基にしたキャリバー2121である。ケースから先細りに連なる一体型ブレスレットは、機械加工が難しく製造の難度を大きく押し上げた。文字盤には、ギョーシェ彫りによるプティ・タペストリーの細かな格子模様が刻まれ、青みを帯びた表情を与えた。
価格はおよそ3,300スイスフランとされ、金無垢のドレスウォッチをも上回った。ステンレスの時計としては例のない高額である。ロイヤルオークの名は英国海軍の艦船に由来するとされ、8隻の艦と八角形のベゼルが重ねられたとも伝わる。もっとも発売直後の評価は芳しくなく、最初の1000本を売り切るのに1年以上を要した。
意義
Significanceロイヤルオークが残したものは、まず意匠の言語である。八角形のベゼル、露出した8本のビス、ケースと連続する一体型ブレスレット、そしてタペストリーの文字盤。これらは半世紀を経てなお、コレクションの不変のコードとして受け継がれている。機能から導かれた形が、そのままブランドの顔になった。もっとも、この八角形は無から生まれた発想ではない。オーデマ ピゲには1917年に八角形の腕時計を手がけた記録があり、ロイヤルオークはその系譜をステンレスのスポーツウォッチとして一つの形にまとめたものでもあった。
市場への影響は、それ以上に大きい。ステンレスは廉価という序列を崩し、価値を決めるのは素材ではなく設計と仕上げ、そしてムーブメントの質だという見方を広めた。高級な実用スポーツウォッチという分野は、ここから明確な輪郭を持ち始める。後年ジェンタが手がけるノーチラスをはじめ、各社がこの路線を追うことになった。
オーデマ ピゲ自身にとっても、ロイヤルオークは命運を分けた一本だった。クォーツ危機で揺らいだ経営は、当初の不評を越えて売れ行きが好転するにつれ立て直されていく。
今日、入手の難しさやプレミア化で語られる高級スポーツウォッチの系譜は、その起点をこの一本に持つ。スイス時計産業が危機のなかで見出した方向の、象徴的な一歩だった。