本文へ
← 腕時計史 · 第6章 機械式の復権と独立時計師
腕時計史 · MILESTONE — 第6章 機械式の復権と独立時計師
1996

フィリップ・デュフール シンプリシティ

複雑機構が競われた時代に、三針の腕時計を徹底した手仕上げで仕立て、デュフールは価値の基準を問い直した。

§ 00 Overview

フィリップ・デュフールは、スイスのヴァレ・ド・ジューを拠点とする独立時計師である。1992年のグランド・ソヌリ腕時計、1996年のデュアリティで複雑機構の技を示したのち、2000年に時分と秒だけを示す三針の腕時計シンプリシティを発表した。複雑さを足すのではなく、すべての部品の仕上げを手作業で貫くことに価値を置いた一作である。約12年で作られた個体は約200本にとどまり、多くは注文から数年を経て納められた。複雑機構の競演が続くなかで、仕上げそのものを価値とする視点を独立時計の世界に示した点に、この時計の意味がある。

§ 01 Background

1980年代から1990年代にかけて、クォーツに押された機械式時計は、技巧の誇示によって存在意義を取り戻そうとしていた。トゥールビヨンやミニッツリピーターといった複雑機構が次々と腕時計に載せられ、メゾン同士の競演の様相を呈する。仕上げの巧拙よりも、機能の多さが価値の尺度とされやすい空気があった。

フィリップ・デュフールは、その潮流とは別の道を歩んだ作り手である。1948年にヴァレ・ド・ジューのル・サンティエで時計職人の家に生まれ、地元の時計学校を1967年に卒業した。ジャガー・ルクルトに入り、ゼネラル・ウォッチ社を経て、1974年に帰国してからはジェラルド・ジェンタやオーデマ ピゲで働いた。1978年に独立して工房を構え、当初は古い時計の修復を手がけながら技を蓄えた。のちに独立時計師アカデミー(AHCI)の会員にもなった。

独立後の彼がまず世に問うたのは、複雑機構だった。1992年には時と15分を自動で打つグランド・エ・プティ・ソヌリの腕時計を、1996年には2つのテンプを差動装置で連結したデュアリティを発表し、いずれも当時例のない機構とされた。1998年には時計界のガイア賞を受けている。

§ 02 The Event

2000年、デュフールはバーゼルの見本市でシンプリシティを発表した。きっかけは、日本をはじめとする収集家からの求めだったと伝えられる。装飾を排し、古典的な手仕上げを徹底した簡素な時計が欲しい——その注文を彼は文字どおりに受け取った。表示は時・分と、文字盤上のスモールセコンドのみで、トゥールビヨンも永久カレンダーも持たない。

ムーブメントは手巻きで、ヴァレ・ド・ジューの古典的な時計、おおむね1850年から1920年ごろの様式に着想を得て、デュフール自身が設計した。価値の核心は機構の複雑さではなく、その仕上げにある。受けはロジウムめっきの真鍮で、ジュネーブ縞で覆われる。縁には面取りが施され、外側の角だけでなく、機械では加工しにくい内側の角まで手やすりで立てられた。鋼部品は黒磨きで鏡面に整えられ、見る角度によって黒く沈む。こうした処理は地板や受けにとどまらず、歯車の歯先にまで及ぶ。受けの一部には金の銘板が埋め込まれ、製作者の署名とシリアル番号が刻まれた。

ケースは当初34mmで、翌2001年には37mmが加わった。素材はホワイトゴールド、ピンクゴールド、プラチナが用意され、文字盤や針の仕様も選べた。当初は100本の予定だったが、注文が相次ぎ、最終的に約200本が約12年をかけて作られたと伝えられる。多くは作り手と面識のある顧客の注文で、数年待ちののち納められた。最後の数本が納められたのは2014年末とされる。

§ 03 Significance

シンプリシティの意義は、仕上げそのものを価値の中心に据え直した点にある。機械化された量産では省かれがちな内角の面取りや黒磨きを、すべて手作業で貫くことは、効率とは逆の選択だった。デュフールはそれを一本の腕時計に通し、機能の多寡ではなく仕事の質で評価され得ることを、具体的な形で示した。

彼の手仕事は、後進の指針にもなった。作品は早くから日本の収集家に支持され、約200本の半数あまりが日本へ渡ったと伝えられる。デュフールは自らの基準を守るだけでなく、収集家や作り手に向けて仕上げの良し悪しを説く役回りを担い、日本の時計学校でも面取りなどの技法を教えてきた。三針の簡素な時計に高い水準の手仕上げを与えるという発想は、近年の独立時計師たちの作風にも影響を残している。

意義は仕上げの技法にとどまらない。デュフールはほぼ独りで工房を営み、少量を手作業で仕立てた。作り手と顧客が直接結ばれるこの形は、19世紀以来のスイスの手仕事の系譜(R1)を、現代の独立工房の規模で受け継ぐものでもある。2020年には20周年の記念モデルが少数作られ、二次市場での高い需要は、この時計が示した価値観が広く共有されたことの一つの表れとなっている。

← 年表へ戻る