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腕時計史 · MILESTONE — 第6章 機械式の復権と独立時計師
1989

パテック キャリバー89

クォーツが精度の基準を書き換えた時代に、機械式の到達点を示すこと——それがパテックが150周年に懐中時計へ託した答えだった。

§ 00 Overview

1989年4月、パテック フィリップは創業150周年を記念して懐中時計キャリバー89を発表した。搭載する複雑機構は33を数える。構想は1970年代末に動き出し、1980年からの研究と製作を経て最初の一本が仕上がった。総部品数は1,728、針は24本にのぼり、表裏のダイヤルで平均太陽時と恒星時、永久カレンダーや復活祭の日付などを示す。クォーツの普及で機械式が後退した時代に、複雑機構の集成によって自社の技術的連続性を示そうとした試みだった。

§ 01 Background

1980年前後のスイス時計産業は、クォーツの台頭による打撃のただ中にあった。電池と水晶振動子による安価で正確な時計が市場を席巻し、機械式の複雑機構は実用上の必然性を失いつつあった。多くのメゾンが事業の縮小や統合を迫られた。永久カレンダーやミニッツリピーターといった伝統的な技巧も、商業的に割の合わない遺産と見なされかねなかった。

携帯時計の複雑さを測る基準として半世紀にわたり参照されたのが、1933年に完成したパテックのヘンリー・グレーブス スーパーコンプリケーション(24機構)である。ただし、最も複雑な時計という称号はフランスのルロアが手がけた懐中時計との間で長く争われてきた。何を複雑機構として数えるかという、定義の問題が絡んでいたためである。

パテックを率いるフィリップ・スターンは、創業150周年にあたる1989年を、こうした技巧の系譜を絶やさない機会と捉えた。クォーツ全盛の時代にあえて最も複雑な携帯時計を造ることは、製品である以前に、複雑機構の知と技を保ち続けているという主張でもあった。その構想は1970年代末、節目の年を見据えて動き始めた。

§ 02 The Event

スターンが開発陣に課したのは、世界で最も複雑な携帯時計を造るという一点だった。エンジニアのジャン=ピエール・ミュジーを中心に、時計師や設計者からなる小さなチームが編成された。彼らはグレーブスをはじめとする過去の複雑時計を研究し、2,000点を超える設計図を起こしながら、部品単位で試作と検証を重ねた。

計算と設計に着手したのは1980年である。およそ5年の研究と4年の製作を経て、最初のイエローゴールド製の試作機が動き出したのは1988年7月、完成は1989年4月だった。同月9日にジュネーブで開かれたオークション『ジ・アート・オブ・パテック フィリップ』で、150周年を飾る一作として披露された。

キャリバー89は、二つのダイヤルをもつオープンフェイスの懐中時計である。直径は88.2mm、重さは約1.1kg。1,728個の部品と24本の針を収め、表側に平均太陽時、裏側に恒星時を示す。動力源に三つの香箱を用い、外からは見えない位置にトゥールビヨンを備える。表示は計時・カレンダー・クロノグラフ・報時・操作系の5系統に整理され、復活祭の日付や、世紀の節目の補正に対応する永久カレンダー、温度計、星図までを含む。仕上げはジュネーブ・シールの基準に準じた。

完成したのは4本だけだった。イエローゴールドに続き、ローズゴールド、ホワイトゴールド、プラチナの3本が造られたが、残る3本の完成にはおよそ9年を要した。

§ 03 Significance

キャリバー89の意義は、まず時代に対する姿勢にある。精度でクォーツに対抗できなくなった機械式に、パテックは別の価値——数多の複雑機構を束ねる職人技そのもの——を示してみせた。それは、機械式が嗜好品や文化財として生き残る道を指し示すものだった。

この一作は、複雑機構の知が途切れていないことの証明でもあった。永久カレンダーやミニッツリピーター、そしてブレゲにさかのぼるトゥールビヨンは、いずれも懐中時計が主役だった時代の技巧である。キャリバー89はそれらを一つに収め、1980年代後半に始まる機械式復権の象徴の一つとなった。

記念の年に最も複雑な時計を世に問うという姿勢は、その後のパテックにも受け継がれた。2000年のスターキャリバー2000や、創業175周年を飾る腕時計型の大複雑時計は、キャリバー89が引いた線の延長上にある。複雑機構の数を競うことは、メゾンが技術の蓄積を示し続ける手段となっていった。

33という複雑機構の数は、2015年にヴァシュロン・コンスタンタンのリファレンス57260(57機構)が現れるまで、携帯時計の最多とされた。称号をめぐる古い議論は残ったままである。ただ、これだけの技巧を一つの懐中時計へまとめ上げる力を保っていたという事実が、記録の数字そのものより重い意味をもつ。

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