NASA スピードマスター正式採用
店頭に並ぶ量産品が、宇宙機関の過酷な選定試験を経て、有人宇宙飛行の装備品へと位置づけられた1965年の認定である。
概要
Overview1965年、NASAは有人宇宙飛行で使う腕時計クロノグラフを選ぶ選定試験を行った。高温・低温・真空・湿度・衝撃・振動など11項目に複数ブランドが挑み、全項目を通過したのはオメガのスピードマスターだけだった。NASAはこれを有人宇宙飛行の全任務に適合する装備品として認定した。試験に用いられたのは店頭で買える機種と同一であった。一民間製品が国家機関の客観試験を通過した事実は、後にムーンウォッチと呼ばれる流れの起点となった。
背景
Background1960年代の有人宇宙計画では、計時は任務の安全に直結する要素だった。宇宙船には電子式のタイマーが備わっていたが、機器の不調に備える機械式の予備が求められた。電源を要さず、手で巻いて動き、与圧服の上からでも操作できる腕時計は、最後の手段となる計時器として理にかなっていた。
初期のマーキュリー計画では、宇宙飛行士が私物の腕時計を持ち込む例があった。個々人の判断にゆだねられた状態が続いていたが、ジェミニ・アポロと計画が本格化するにつれ、装備を統一する必要が高まる。1964年、飛行士運用部門のディーク・スレイトンが、堅牢で正確なクロノグラフを公式装備として選ぶよう社内に指示したと伝えられる。
NASAが定めた条件は明快だった。対象は試作品ではなく、市場で実際に売られている量産の腕時計クロノグラフであること。手で操作でき、視認性が高く、厳しい環境でも狂わないこと。政府機関であるNASAは特定ブランドを指名できず、公募によって候補を募る必要があった。
出来事
The Event選定の実務を担ったのは、技術者のジェームズ・レイガンである。NASAの提示した条件にもとづき、複数のメーカーが時計を提出した。提出は4ブランドにのぼったが、うち1点はハミルトンの懐中時計とされ、腕時計という要件を満たさないため早々に除外された。残ったのはオメガのスピードマスター(ST 105.003)、ロレックス(Ref.6238)、ロンジン・ウィットナー(Ref.235T)の3機種である。各ブランドから3本ずつが用意された。
試験は1964年末から1965年初頭にかけて、11項目で行われた。高温は摂氏70度で48時間、続いて摂氏93度で30分。低温は摂氏マイナス18度で4時間。真空室での加熱と冷却を繰り返す熱真空、95パーセントを超える湿度の繰り返し、酸素環境での腐食、6方向からの40G衝撃、加速度、減圧、高圧、5から2,000ヘルツの振動、130デシベルの音響負荷が課された。
競合の2機種は高温・熱真空の段階で脱落した。一方は針が変形してほかの針に干渉し、もう一方は風防が外れたと伝えられる。全11項目を通過したのはスピードマスターのみで、試験機は店頭で買える個体と同一だった。レイガンは飛行士にも実機を評価させ、視認性と扱いやすさの点でも支持を得たという。
こうしてスピードマスターは『有人宇宙飛行の全任務に適合』と認定された。認定日は1965年3月1日とされることが多いが、ジェミニ計画室による正式な受領書は同年6月1日付である。3月23日のジェミニ3号ではグリソムとヤングが着用し、6月3日にはエドワード・ホワイトがジェミニ4号の船外活動で身に着けた。
意義
Significanceこの認定の市場的な意味は、評価の出どころにある。ブランド自身でも業界団体でもなく、利害から離れた国家機関が、同じ条件で各社を比較した結果だった。名の知れた競合が脱落し、試験成績だけが選定を決めたことも、結果の重みを高めた。広告ではなく試験報告に裏打ちされた信頼は、後年まで通用する資産となった。
スピードマスターは、数あるクロノグラフの一つから『宇宙機関の装備品』へと位置づけを変えた。オメガはこの認定を裏ぶたの刻印として刻み続け、認定の事実は製品の同一性を保証する目印にもなった。
この認定は、月へ向かう装備の系譜の前段に当たる。月面での使用は本史のアポロ11号の項で扱う。スイス製の機械式時計が米国の宇宙計画に採用された事実は、クォーツ普及の直前という時期にあって、スイス時計業の存在感を示す一例ともなった。
認定の効力は短期で終わらなかった。船外活動向けに資格を保つ腕時計は現在もスピードマスターだけだとされ、半世紀を超えて市場での地位を支えている。競合がこれに並ぶ公的な裏づけを持たなかったことも、その地位を後押しした。