MoonSwatch(オメガ×スウォッチ)
6,000フラン超のアイコンを250フランのクォーツへ——同じ企業集団内のこの協業は、入手難の時代に時計を遊びと話題へ開いた。
概要
Overview2022年3月26日、オメガとスウォッチはモーンスウォッチを発売した。オメガのスピードマスター ムーンウォッチの意匠を、スウォッチが手がける低価格のクォーツ時計へ移した協業である。ケースは両社が属するスウォッチ・グループの素材バイオセラミックで成形され、太陽系の天体名を冠した11種が同時に並んだ。価格は250スイスフラン前後と、本家を大きく下回る。販売は一部のスウォッチ店頭に限られ、世界各地で長い行列と混乱を招いた。高級機の象徴的意匠を廉価な素材へ開いたこの試みは、入手難が常態化した市場で、ブランド協業と話題喚起の新しい型を示した。
背景
Backgroundオメガのスピードマスター プロフェッショナルは、月面に到達した時計として知られる高級機の象徴であり、本家の価格は6,000スイスフランを超える。一方のスウォッチは、1983年にスイス時計産業の再生を担って生まれた、樹脂とクォーツの低価格ブランドである。両社はともにスウォッチ・グループに属しながら、価格でも素材でも対極に位置していた。誰もが知る高級時計の意匠と、量販されるプラスチック時計とは、別の世界に属するという認識が業界の前提だった。
もう一つの伏線は、市場の過熱である。2010年代以降、人気モデルは定価での入手が難しくなり、待機リストと二次市場のプレミアが常態化していた。とりわけコロナ禍の時期には、一部のスポーツモデルが投機の対象として高騰した。欲しい時計が正規店では手に入らないという感覚が、多くの愛好家に共有されていた。
こうした状況が、対極にある二つのブランドを一つの製品で結ぶ素地となった。グループは独自の素材技術と、低価格で量産する体制を持っていた。
出来事
The Event2022年3月26日、モーンスウォッチは世界各地のスウォッチ店頭で発売された。太陽・水星・金星・地球・月・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の11の天体名が、それぞれのモデルに与えられ、固有の色で塗り分けられた。
ケース径は42ミリで、本家ムーンウォッチと同じ寸法に合わせられた。素材は、3分の2のセラミックと3分の1のひまし油由来成分を混ぜたバイオセラミックである。非対称のねじれたラグ、タキメーターの『ドット・オーバー・ナインティ』、三つのサブダイヤルといったスピードマスターの特徴が忠実に写し取られた。一方で機械は、本家の手巻きではなくクォーツのクロノグラフ(ETA G10.212)で、針の配置は本家と異なる。文字盤と竜頭には両社のロゴが入り、裏蓋の電池蓋には各モデルの天体が描かれた。ストラップはベルクロ式とした。
価格は250スイスフラン前後、米国では260ドル、英国では207ポンドだった。本家スピードマスターのおよそ25分の1にあたる。販売は一部のスウォッチ店頭に限られ、オンライン販売は当初行われなかった。購入は当初1人2本まで、後に需要を受けて1本へと制限された。
発売当日から、各地の店舗に長い行列ができた。前夜から並ぶ者も現れ、ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京、チューリヒなどで人が殺到した。ロンドンのカーナビー・ストリート店は、混雑のため開店から30分ほどで閉店し、警察官も対応にあたった。供給は需要にまったく追いつかず、買い手の手に渡る前から、二次市場には定価を大きく上回る価格の出品が現れた。
意義
Significanceモーンスウォッチは発売から1年足らずで100万本以上を売り、スウォッチの看板的な量販モデルとなった。平均単価が90フラン前後だったスウォッチにとって、その2倍を超える250フランの時計がこれだけ売れた効果は大きく、グループの売上を押し上げた。CEO のニック・ハイエックは、本家スピードマスターの販売も伸びたと述べている。
意匠の面では、禁欲的な道具の時計を、色で遊ぶ対象へと読み替えた。ピンクや淡い青といった本来のスピードマスターにはない配色が、同じ造形のまま与えられた。バイオセラミックという素材は、軽さと発色を両立させる選択でもあった。広く知られた高級機の造形を、手の届く価格と親しみやすい色で身近にした。
協業の型という点でも、この時計は新しかった。高級ブランドが名と意匠を、同じ企業集団内の廉価ブランドへ貸すこの構図は、ブランドの希釈という批判も招いた。それでも商業的には成功し、スウォッチはその後ブランパンとの協業など同じ型を繰り返している。行列と入手難そのものが話題を生み宣伝として働く構造は、スニーカーやストリートウェアのドロップ商法を、高級時計の周縁へ持ち込んだ。かつて低価格のクォーツでスイス産業を支えたスウォッチが、今度は機構ではなく話題の設計で再び注目を集めた点に、この出来事の位置づけがある。