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腕時計史 · MILESTONE — 第6章 機械式の復権と独立時計師
1991

フランク・ミュラー創業

クォーツに押された機械式の時代に、独立時計師が商業ブランドへ育ちうることを示した一例——その出発点が1991年のフランク・ミュラーである。

§ 00 Overview

1991年、時計師フランク・ミュラーは、ケースと宝飾の専門家ヴァルタン・シルマケスと組み、ジュネーブ近郊のジャントーで自身の名を冠したブランドを立ち上げた。ミュラーは複雑機構の修復と製作で名を上げた職人であり、シルマケスはケース製造と事業の手腕を持っていた。ブランドはまもなく、湾曲したトノー型ケース、サントレ・カーベックスを象徴的な意匠として確立する。クォーツ後に機械式が見直された時期に、複雑機構と独自の意匠を掲げた独立系が商業ブランドとして根づいた例として、この創業は数えられる。

§ 01 Background

1970年代から1980年代前半にかけて、クォーツの台頭は機械式時計を市場の片隅へ追いやった。スイスの大手は再編に追われ、複雑な手仕事の機械式は時代遅れと見なされがちだった。その逆風のなかで、大資本に属さない個人の作り手たちが手仕事の価値を掲げて連帯しはじめる。1985年に発足した独立時計師アカデミー(AHCI)は、その象徴的な受け皿となった。

フランク・ミュラーは1958年生まれで、ジュネーブの時計学校で学んだ。出発点は、収集家やオークションのための古い複雑時計の修復だった。パテック フィリップの収蔵時計の修復にも携わり、この仕事を通じて19世紀の複雑機構を内側から学んでいく。一時はAHCIの共同創設者スヴェン・アンデルセンの工房にも身を置いた。

1984年ごろには、文字盤側にトゥールビヨンを露出させた腕時計を手がけている。1986年からは毎年のように複雑機構の新作を発表し、自作には『フランク・ジュネーブ』などの銘を入れた。いずれも手作業による製作で、生産は年に3〜4本ほどにとどまる。複雑機構を自在に扱うその仕事ぶりから、彼はやがて『複雑機構の名手(マスター・オブ・コンプリケーションズ)』と呼ばれるようになった。

§ 02 The Event

1980年代の終わり、ジュネーブで二人の経歴が交わる。一方は複雑機構で頭角を現したミュラー、もう一方はケース製造と宝飾を手がけるヴァルタン・シルマケスだった。シルマケスはコンスタンティノープルに生まれ、アルメニア系の宝飾職人の家に育つ。ジュネーブで石留めの修業を積んだのち独立し、カルティエ、ダニエル・ロート、エベルといったブランドのケースを手がけていた。

1991年、ミュラーは新しいケースの設計をシルマケスに依頼した。これを機に二人は組み、ミュラーの名を冠したブランドを立ち上げる。会社はジュネーブ近郊のジャントーに拠点を構えた。当初はテクノウォッチSAの名で登記されたと伝えられる。役割は明快に分かれていた。ミュラーがムーブメントの設計と複雑機構を担い、シルマケスがケース製造と事業・販売を引き受ける。

創業まもなく、ブランドの顔となる意匠が定まる。湾曲したトノー型ケース、サントレ・カーベックスである。丸型のケースが主流だった時代に、緩やかに反り返るケースと装飾的なアラビア数字は際立っていた。この曲面ケースはトノー型を現代によみがえらせ、カサブランカなどの定番へ展開して、ブランドの目印として定着していく。1992年には、複数の複雑機構を組み合わせ、みずから『世界でもっとも複雑な腕時計』と称する一作をバーゼルの見本市で発表した。永久カレンダー、エクエーション・オブ・タイム、ムーンフェイズ、温度計などを備えた時計だった。

§ 03 Significance

フランク・ミュラーの創業が示したのは、独立した作り手でも大きな商業ブランドを築きうるという可能性だった。機械式が復権しはじめた時代に、複雑機構という技術と、ひと目で分かる曲面の意匠とを結びつけ、それを一つの商品として成立させた点に、このブランドの市場的な新しさがある。

1980年代に再興した独立時計の多くは、手仕事を旨とする小規模な営みにとどまった。フランク・ミュラーはそこから別の道を進む。複雑機構の語彙を保ちながら生産規模を広げ、流通と広告を備えた一個のブランドへと育てていった。会社は二桁の年間成長を重ね、2000年代初頭にはグループ全体で数万本規模の販売と数億スイスフランの売上に達したと伝えられる。その鮮やかな色使いと独特のケース形状は、1990年代末から2000年代の高級時計の意匠にも影響を残したとされる。

もっとも、その歩みは平坦ではなかった。技術を担うミュラーと事業を担うシルマケスという分業は、2003年に二人の対立として表面化し、ミュラーは自らの名を冠した会社を離れることになる。それでもこのブランドは、クォーツ危機を経たスイス時計が機械式の付加価値を組み直していく流れのなかで、独立系がたどりうる商業的な選択肢を一つ指し示した存在として残った。

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