ホイヘンスの振り子時計
正確さは細かな調整ではなく調速の原理で決まる——ホイヘンスの振り子時計が、計時を精度で語る時代を開いた。
概要
Overview1657年、クリスティアーン・ホイヘンスが設計した振り子時計が、ハーグの時計師サロモン・コステルの手で形になった。それまでの時計は棒テンプ(フォリオ)を調速に用い、日に15分ほどの誤差は当たり前だった。ホイヘンスは等時性を持つ振り子を調速機構に据え、誤差を日差15秒ほどへ縮めたとされる。計時の歴史における転換点であり、時計に正確さという価値がはっきり結びつく契機になった。ただし振り子は重力に頼り揺れに弱く、床に据える置き時計でしか働かない。それでもここで生まれた、精度で時計を測るという発想は、後の懐中時計や腕時計の精度向上を貫く糸となる。
背景
Background17世紀半ばの時計は、ぜんまいや錘の力で歯車を回し、フォリオと呼ばれる棒状の調速部品で速度を整えていた。だがこの棒テンプの揺れには定まった周期がなく、動力の強弱や摩擦の変化に振る舞いが左右された。日に15分前後の誤差は珍しくなく、正確さは時計に望むべくもない性質だった。
この不正確さを問題と捉えた一人が、クリスティアーン・ホイヘンスである。1629年にハーグの名門に生まれた彼は、数学・物理・天文の各分野で業績を残した。天体の観測には精密な時刻が欠かせず、計時の誤差は彼にとって実務上の障害でもあった。
手がかりは、ガリレオ・ガリレイの観察にあった。ガリレオは振り子の等時性、すなわち振れ幅が多少変わっても一往復の時間がほぼ一定に保たれる性質を見いだしていた。1637年には振り子を用いた時計を構想し、息子のヴィンチェンツォが1649年に一部を組み立てたと伝わるが、いずれも完成を見ずに終わった。振り子を調速に使うという発想は、実現を待つ宿題として残されていた。
出来事
The Eventホイヘンスは1656年の暮れ、振り子を調速機構に据えた時計を設計し、年内に試作へこぎ着けた。製作そのものは彼の手ではなく、ハーグの時計師サロモン・コステルが担った。1657年6月16日、オランダ連邦議会はコステルにこの時計の製作の特許を与えた。期間は21年である。現存する最古の振り子時計はコステルが1657年に署名した一台で、いまもオランダのライデンに保存される。

機構の核心は、脱進機は従来式のまま、調速を担うフォリオを振り子へ置き換えた点にある。振り子は長さに応じた一定の周期で揺れ続け、それが時計の刻みの基準になる。この安定した往復を、錘で駆動する歯車列に脱進機を介して結びつけ、規則正しい刻みを取り出した。計時に調和振動子が用いられた最初の例である。
日に15分ほどあった誤差は15秒前後にまで縮み、精度はおよそ60倍に高まったとされる。初期の個体は日差1分ほどだったとする見方もある。ホイヘンスは1658年、この発明を著書『ホロロギウム』にまとめて公にした。設計は歯車が少なく作りやすかったため追随しやすく、既存のフォリオ式の時計も振り子式へ改造され、1658年10月にはロンドンの時計師フロマンティールが振り子時計の広告を出している。
もっとも、この時計は床や壁に据えて使うものだった。振り子は重力で振れるため、本体が傾いたり揺れたりすれば振幅が乱れ、精度は保てない。長い振り子を収める丈の高い筐体も要り、持ち運べる大きさには程遠かった。精度の飛躍は、据え置きという前提と引き換えに得られたものだった。
意義
Significance振り子時計がもたらした遺産は、機構の進歩そのものより、正確さという価値の確立にある。誤差は宿命ではなく設計で詰められる——この認識が、時計を精度という尺度でとらえる見方を生んだ。良し悪しを意匠や複雑さだけでなく日々の進み遅れで測る発想は、後の天文台コンクールやクロノメーター認定へ連なる精度文化の出発点になった。正確な時刻は天体観測や科学の探究を支える基盤ともなり、ホイヘンス自身も、この時計を天体観測に役立てたと伝わる。
振動体に固有の周期を持たせ、それを基準に時を刻むという調速の原理も、ここで確立した。振り子は据え置きでしか働かないが、同じ発想を弾性に移せば持ち運べる。ホイヘンス自身が1675年にひげぜんまいへ進み、重力に頼らない調速を懐中時計に与えることになる。ひげぜんまいとテンプを備えた機械式腕時計の精度は、この延長線上にある。
振り子時計はその後、クォーツ時計が登場するまでのおよそ270年にわたり、正確な計時の標準であり続けた。腕時計へ直接受け継がれた部品はない。それでも、時計を精度で評価するという見方をこの一台が用意した意味は大きく、本史が技術の軸でたどる系譜の早い結節点に置かれる。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 報道 First operational pendulum clock
- 02 専門メディア Een klok van de Amsterdamse klokkenmaker Steven Huygens
- 03 専門メディア Œuvres complètes de Christiaan Huygens, t.17
- 04 専門メディア Scientist of the Day - Christiaan Huygens
- 05 専門メディア Collection object 205602 (catalogue essay)
- 06 専門メディア European Clocks in the Seventeenth and Eighteenth Centuries