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腕時計史 · MILESTONE — 第7章 現代
2017

グランドセイコー 独立ブランド化

セイコーの最上級モデルから、独立した高級ブランドへ。2017年の決断は、文字盤からセイコーの名を消すことでもあった。

§ 00 Overview

2017年3月、セイコーはバーゼルワールドの会場で、グランドセイコーを独立した一つのブランドとして扱うと発表した。1960年の誕生以来、グランドセイコーはセイコーの最上級モデルに位置づけられ、文字盤の12時にはセイコーのロゴが置かれていた。発表に伴い、その文字盤からセイコー名が外され、グランドセイコーのロゴが12時へ移された。これは1960年の初代がとっていた配置への回帰でもあった。背景には、2010年に始めた海外展開を加速し、高級腕時計としての位置づけを明確にする狙いがあった。法人を分ける分社ではなく、ブランドとしての扱いを改める決定だったが、日本発の高級機が世界市場で自立する節目となった。

§ 01 Background

グランドセイコーは1960年、セイコーの最上級モデルとして生まれた。以来その位置づけは、セイコーというブランドの頂点に立つコレクションであり、独立した存在ではなかった。文字盤の12時にはセイコーのロゴが置かれ、グランドセイコーやGSの表記は6時側に小さく添えられていた。買い手の目には、まずセイコーの時計として映る構造だった。

この構造は、海外市場で固有の壁を生んだ。セイコーの名は、世界では手頃な量産クォーツの作り手として広く知られていた。質と仕上げを突き詰めた製品であっても、セイコーの一モデルという見え方が、高級時計としての評価を妨げる場合があった。スイス勢が占めるその世界では、アジア発という出自と量産品との連想がのしかかった。

グランドセイコーが日本国外へ本格的に出たのは2010年である。以降、ブティックを軸に取扱店を増やし、海外のジャーナリストや販売店を製造現場へ招くなど、認知を地道に広げていた。手応えは着実だったが、ブランドとしての輪郭はなお曖昧だった。グローバル化と高級路線をさらに進めるには、セイコーの傘の下にある位置づけそのものを問い直す必要があった。

§ 02 The Event

2017年3月、スイスで開かれた時計見本市バーゼルワールドの会場で、セイコーウオッチ社長兼CEOの服部真二が発表に立った。彼は、グランドセイコーをこれまでより一歩進め、完全に独立した一つのブランドとして提示すると述べた。会場で披露する全ての製品でグランドセイコーのロゴを12時の位置に置き、それを以後の全製品に適用するという。

最も目に見える変化は文字盤に表れた。従来12時にあったセイコーのロゴが外され、代わりにグランドセイコーの名が12時へ移された。これは1960年の初代グランドセイコーが、セイコー名を持たず自らの名を掲げていた配置への回帰でもあった。

もっとも、この決定は法人としての分社ではない。グランドセイコーは引き続きセイコーウオッチが製造・販売するブランドであり、変わったのは扱いと見せ方だった。当時の海外報道も、これを企業の完全分離ではなく、ブランドの位置づけを改める再ブランディングとして受け止めている。

変更を印象づけるため、グランドセイコーは1960年の初代を下敷きにした復刻を投入した。プラチナ・金・ステンレスの三種が用意され、ステンレス版は誕生の1960年にちなみ1,960本に限られた。復刻は初代の穏やかな曲面を忠実になぞり、径だけを現代の好みに合わせて広げていた。あわせて、初代の意匠を現代的に解釈した一作も示された。新旧の対比を通して、独立という決断に歴史的な裏づけを与える構成だった。

§ 03 Significance

独立がもたらした最も象徴的な帰結は、意匠の面にある。母体の名を借りなくなった文字盤は、製品が一目で自らの出自を語る装置となった。配置の変更そのものが、ブランドの自己規定を担ったのである。以後の新作はこれを基準に、独自のデザイン文法を押し出す余地を得た。その流れは2020年、セイコースタイルを発展させたエボリューション9へと結実していく。

市場の面では、高級ブランドとしての輪郭が明確になった。発表に合わせて3年間の国際保証が導入され、包装も上位ブランドにふさわしい設計へ改められた。製品の幅も、従来の実用的なドレスウォッチ中心から、スポーツやエレガンスの領域へと広げられていった。2010年に始まった海外展開はこの独立を機に加速し、2018年には米国に専門の販売会社が設けられる。新作を示す舞台も、やがてジュネーブの国際見本市へと移っていった。

一方で、セイコーの名がもたらす連想を完全に断ち切れたわけではない。広告やブランドの紹介には1881年に遡るセイコーの系譜が依然として添えられ、独立の徹底をめぐる議論は残った。それでもこの節目は、日本発の高級機が母体の名に頼らず単独のブランドとして世界に向き合う姿勢を示した点で、日本時計史の現代における転換にあたる。

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