グランドセイコー誕生
スイス時計が品質の基準だった時代に、それに伍する高級機を国産で作れるか。その問いへの最初の答えが初代グランドセイコーだった。
概要
Overview1960年12月、セイコーは初代グランドセイコー(Ref.J14070)を発売した。製造を担ったのは諏訪精工舎で、搭載するキャリバー3180は25石・手巻きの機械式である。当時、上質な時計といえばスイス製という見方が広く、国産は一段下に置かれていた。セイコーはこの認識に抗い、精度・耐久性・視認性・美しさを兼ね備えた時計を目標に据えた。初代は、スイスのクロノメーター優秀級に準じる基準を社内検定で満たしたとされ、合格品には歩度証明書が添えられた。14金張りのケースに面取りインデックスを配した端正な姿は、後のセイコースタイルの萌芽でもある。国産高級機という新たな領域を切り開いた一本である。
背景
Background1960年以前、上質な時計はスイス製という見方が世界に広く根づいていた。国産時計は実用品として普及しつつあったが、高級な機械式の領域ではスイスに後れを取るというのが大方の評価だった。セイコーの源流をたどると、創業者・服部金太郎が掲げた「理想の時計」という思想に行き着く。精度・耐久性・視認性・美しさのすべてを満たす時計——この理念が、後の高精度機開発の土台となった。
セイコーの二つの製造拠点、諏訪精工舎と第二精工舎は、1950年代を通じて自社設計の高精度機を積み上げた。マーベル、ロードマーベル、そして1959年のクラウンが、その到達点である。とりわけクラウンは、堅実な造りと精度で時計愛好家の支持を集めた。この蓄積が、スイスの高級機に伍するという次の一歩を支えた。
もう一つの背景に、精度を公に保証する制度の問題があった。スイスには天文台やBOC(公式クロノメーター検定機関)があり、検定を通った時計には客観的な裏づけがあった。日本にはこれに相当する公的制度がなく、国産時計は精度の高さを外部へ示す手立てを欠いていた。スイスに比肩する精度を、いかに証明するか。この課題に対する一つの答えが、初代グランドセイコーの規格だった。
出来事
The Event1960年12月、初代グランドセイコーが発売された。リファレンスはJ14070、搭載キャリバーは3180である。製造は諏訪精工舎が担った。基礎となったのは前年のクラウンで、これを高精度に仕立て直したのが初代であった。
キャリバー3180は、25石・手巻き、毎時18,000振動、約45時間のパワーリザーブを備える。大型のテンプや、片振りを調整できる可動式のヒゲ持ちなど、精度を高める工夫が施された。精度の基準として掲げられたのが、後にGS規格と呼ばれる水準である。5つの姿勢で15日間にわたり計測し、日差を-3秒から+12秒に収める——スイスのクロノメーター優秀級に準じるこの基準を、社内検定で満たしたとされる。合格した個体には歩度証明書が添えられた。
外装にも高級機としての主張があった。ケースは14金張りで、金の層を通常より厚くとっていた。文字盤はゆるやかに膨らむボンベ形で、面取りされたインデックスとドーフィン針が光を受ける。インデックスに金無垢を用いたSD(スペシャルダイヤル)と呼ばれる仕様もある。文字盤には「Chronometer」の文字が記され、これを全ての個体に持つのは初代だけである。裏蓋にはライオンの紋章が据えられ、クロノメーター級であることを示した。
価格は2万5,000円。当時の大卒初任給のおよそ2倍にあたり、国産時計としては高額だった。ロゴの入れ方は時期で変わり、最初期は彫り、次いで印刷、後にはアプライド(立体)へと移っている。初代は1960年から1963年ごろまでの短い期間に少数が作られ、1964年にステンレスケースとカレンダーを備えた次代へ引き継がれた。
意義
Significance初代グランドセイコーの意義は、意匠と市場の両面にある。意匠の面では、面取りされた鋭いインデックスや、光を平面で受けて返す仕上げが、後の「セイコースタイル」へつながる出発点になった。彫りや透かしで飾るのではなく、平面と稜線の精度そのものを見せる。その方向性は、現在のグランドセイコーの仕上げ思想にも受け継がれている。
市場の面では、国産高級機という市場を自ら立ち上げた点が大きい。スイス勢が上質の基準を握っていた時代に、精度・仕上げ・素材で対抗する姿勢を、製品と規格の両面で示した。輸入高級機に並ぶ価格で国産機が売られたこと自体が、市場の常識を動かした。スイスのクロノメーター優秀級に準じる基準を自ら課したことは、後の天文台コンクール参戦へとつながり、国産の精度が国際舞台で問われる契機となった。
初代の系譜は一度途切れる。クォーツの台頭を受け、機械式グランドセイコーは1975年ごろに姿を消し、1988年に名が復活、後に機械式も戻った。2017年にはセイコーから独立したブランドとなり、高級路線が明確になる。日本時計史の流れの中で初代を見れば、服部金太郎の理想を高精度機として具体化し、後の国産高級時計の方向を定めた一点と位置づけられる。