懐中時計CITIZEN命名
輸入品が占めた懐中時計市場へ、国産の一号機が『市民』の名を掲げて加わった——のちの社名の源となる出発点である。
概要
Overview1924年、シチズンの前身である尚工舎時計研究所は、独自設計による国産の懐中時計を完成させた。輸入の懐中時計が携帯時計の主流を占めた時代に、国産化を志した第一号である。経営にあたった山崎亀吉は、親交のあった後藤新平に命名を依頼したと伝えられる。後藤は、広く市民に親しまれることを願って、市民を意味する『CITIZEN』と名づけたとされる。この名は一個の商品名にとどまらず、1930年に設立されるシチズン時計株式会社の社名へ受け継がれ、日本の時計を市民の身近なものにしようとする姿勢の出発点となった。
背景
Background20世紀初頭の日本では、携帯時計の主流は輸入された懐中時計だった。精度の高い機械式時計はスイスや欧米からの舶来品が占め、国産品はその後を追う立場にあった。時計は鉄道や工場の普及とともに社会へ広がりつつあったが、舶来の懐中時計は高価で、庶民が容易に手にできるものではなかった。
こうした状況のなかで、国産化を志す動きが生まれていた。貴金属商を営み、金の品位を示す規格の立案にも携わった山崎亀吉は、欧州やアメリカへの視察を経て時計の国産化の必要を痛感し、1918年に尚工舎時計研究所を設立する。輸入品に頼る現状を変え、自前の設計と製造で時計を作り上げることを目指した拠点だった。
輸入品が精度と信頼で市場を占めるなか、独自設計の国産品をどう成り立たせ、人々に受け入れられる足場をどう築くか。後発の尚工舎には、その問いが課されていた。
出来事
The Event1924年12月、尚工舎時計研究所は独自の設計による国産の懐中時計を完成させた。最初の製品は16型と呼ばれ、シチズンにとって第一号にあたる。小さな秒針を備えた手巻き式で、装飾を抑えた実用本位の造りだった。設立から完成まで、およそ6年を要している。
命名の経緯は次のように伝えられている。山崎亀吉は、東京市長を務めた後藤新平と親交があり、この時計の命名を依頼した。後藤は『永く広く市民に愛されるように』との願いを込め、英語で市民を意味する『CITIZEN』の名を与えたとされる。完成した時計の文字板には、この名が記された。
もっとも、この経緯を裏づける確かな史料は乏しく、命名以前に別の経路で『CITIZEN』の名が用いられていた可能性も指摘される。それでも、1924年に国産の懐中時計が『CITIZEN』の名で世に出たことは、後の歩みを方向づけた。一号機は精度の面でも評価を得る。ある会合で国産時計は舶来品に精度で及ばないという声が出た際、昭和天皇が自らの国産懐中時計を取り出し、よく合うと示したと伝えられる逸話も残る。
意義
Significance『CITIZEN』という名に込められたのは、市民に広く親しまれる時計であろうとする理念だった。舶来の懐中時計が高価な品として一部の手にとどまっていた時代に、国産の時計を人々の身近なものにしようとする志向である。販売価格は12円50銭、当時の初任給が50円から60円ほどだったことを思えば、その理念を市場で形にする値づけだった。
この理念は、一個の商品名を超えて受け継がれた。1924年に懐中時計の名として生まれた『シチズン』は、1930年に設立される会社の社名に採られる。製品名がそのまま企業の看板となり、市民に親しまれる時計づくりという方向が会社の名に刻まれた。
日本の時計産業の流れで見れば、この命名は1918年の尚工舎設立を受け、1930年のシチズン時計創業へと橋を渡す結節点にあたる。輸入品を追う後発の立場から国産ブランドが立ち上がる、その出発点に位置づけられる。