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腕時計史 · MILESTONE — 第0章 前史
1790頃

ブレゲ パラシュート耐震

落下や衝撃で止まる携帯時計を、固く受けるのではなく弾性で逃がして守る——ブレゲが1790年ごろ試作した発想は、後の耐震機構の祖型となった。

§ 00 Overview

18世紀末の携帯時計は衝撃に弱く、落下や打撃でテンプの細い軸が折れやすかった。アブラアン=ルイ・ブレゲは1790年ごろ、この弱点を補う耐震機構パラシュートを試作したと伝わる。軸の先端を円錐に削り、同じ形の受け石を板バネで弾性的に支える。衝撃が加わると受け石がわずかに動いて力を逃がし、軸の破損を防ぐ。1792年ごろから自動巻のペルペチュエルに採用され、やがて生産の大半へ広がった。完成形は1806年の国民産業博覧会で公開された。落下や衝撃で時計が止まるという、精度以前の弱点に応えたこの機構は、近代の耐震装置の出発点に位置づけられる。

§ 01 Background

18世紀末の携帯時計は、精度の追求とは別に、壊れやすさという弱点を抱えていた。鎖でつながれてポケットに納められる懐中時計は、取り出すときに机や床へ落ちることがある。馬車の揺れや日常の所作でも、内部には絶えず小さな衝撃が加わる。

最も傷みやすいのはテンプの軸だった。テンプは一定の周期で往復して時を刻む調速の要であり、その両端の軸(ほぞ)はごく細く仕上げられている。細いほど摩擦は小さく精度には有利だが、その分だけ衝撃には弱い。強い力が加われば軸は曲がり、あるいは折れて、時計は止まってしまう。一度折れた軸の修理は容易ではなかった。

アブラアン=ルイ・ブレゲは、1775年にパリで工房を構えて以来、自動巻のペルペチュエルなどで名声を得ていた。携帯される時計が日常の衝撃で止まることは、精度以前の信頼にかかわる問題である。彼は壊れにくさそのものを設計の対象として捉え、細い軸をいかに守るかという課題に向き合った。

§ 02 The Event

ブレゲがこの耐震機構の試作を始めたのは1790年ごろと伝わる。着目したのは、衝撃で最初に傷むテンプの軸の支え方だった。

仕組みはこうである。軸の先端を円錐状に削り、それを受けるのは対応する形の小さな受け石である。受け石は地板に固定せず、板バネの上に載せて保持する。平常時は上下のバネの圧力で軸が定位置に保たれ、時計は正確に動く。衝撃が加わると受け石が上下左右にわずかに逃げ、軸が動いて力を吸収し、収まればもとの位置へ戻る。固い支えで受け止めるのではなく、柔らかく逃がして折損を防ぐという発想である。テンプの弾性懸架とも呼ばれた。

この機構は、フランス語で落下を防ぐものを意味するパラシュートと名づけられた。1792年ごろからは自動巻のペルペチュエルに標準で備えられ、やがて工房の生産の大半へ広がっていく。改良を重ねた完成形は、1806年にパリで開かれた国民産業博覧会で公に披露された。

効果を印象づける逸話も伝わる。外務大臣タレーランの邸宅に集まった人々を前に、ブレゲは機構の原理を説いたうえで、自らの時計を床へ投げ落としてみせたという。回収された時計は手から手へ渡され、なお正確に動いていることを一同が認めた。ブレゲ家に伝わるこの場面は、機構の堅牢さを物語る挿話として語り継がれている。

§ 03 Significance

パラシュートの意義は、携帯時計を日常の道具として信頼できるものに近づけた点にある。落としても止まらない時計は、精度の証明とは別の次元で価値を持った。壊れにくさは、持ち運ばれる時計にとって精度と並ぶ条件である。

技術思想としての射程はそれにとどまらない。最も弱い部分を固く固定するのではなく、あえて動けるようにして衝撃を逃がす——この逆転の発想が、後の耐震機構に受け継がれる原理となった。20世紀に普及したインカブロックをはじめ、現代の耐震装置の多くは、軸をばねで支えて衝撃時に動かすという同じ考え方の上にある。パラシュートはその源流に位置づけられる。

パリのブレゲ工房が18世紀末から19世紀初頭に重ねた改良の一つであり、自動巻やリピーターのゴングと並ぶ実用的な発明だった。それは1801年のトゥールビヨンへと続く創意の連なりに加わる。重力による姿勢差を回転で均すトゥールビヨンが精度への解だとすれば、衝撃を弾性で逃がすパラシュートは堅牢性への解である。腕に着けて絶えず動かす現代の腕時計において、耐震は今なお欠かせない要件であり続けている。

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