AP 2964
2020年、ルノー&パピが手がけた手巻フライング・トゥールビヨン。38.5mmのロイヤルオーク コンセプトに宿る複雑機構
Cal. 2964は、オーデマ ピゲ傘下の複雑機構工房ルノー&パピ(APRP)が開発した手巻フライング・トゥールビヨンである。2020年、ロイヤルオーク コンセプト フロステッドゴールド フライング トゥールビヨンに初搭載された。振動数は21,600vph (3Hz)、パワーリザーブは72時間。207点の部品と17石で構成され、6時位置の籠は上受けを持たない片持ち構造をとる。ブリッジには文字盤と呼応する同心円の装飾が施される。2026年には派生のCal. 2982が登場し、設計の発展が続いている。
| Maker | Audemars Piguet |
|---|---|
| Reference | AP 2964 |
| Type | Handwound |
| Display | Analog |
| Frequency | 21,600 bph (3 Hz) |
| Jewels | 17 石 |
| Power reserve | 72 h |
| Movement ⌀ | 29.5 mm |
| Hands | Hours, Minutes |
| Additional | Tourbillon Escapement |
系譜と歴史
ルノー&パピが担う複雑機構
Cal. 2964を開発したのは、オーデマ ピゲ傘下の複雑機構工房ルノー&パピである。1986年にドミニク・ルノーとジュリオ・パピが設立した専門アトリエで、現在は略称APRPとして知られる。スーパーソヌリやスプリットセコンド・クロノグラフなど、同社が手がけた機構の多くはロイヤルオーク コンセプトを通じて世に問われてきた。コンセプトは、オーデマ ピゲが新しい機構や素材を試す実験の場として位置づけられる。Cal. 2964もまた、その系譜に連なる手巻フライング・トゥールビヨンである(フライング・トゥールビヨンとは、脱進機とテンプを回転籠に収め、上側の受けを省いた調速機構をいう)。
フロステッドゴールドという転機
Cal. 2964が初めて搭載されたのは、2020年発表のロイヤルオーク コンセプト フロステッドゴールド フライング トゥールビヨンである。型番は26630OR(ピンクゴールド)と26630BC(ホワイトゴールド)。ケース径は38.5mmで、42mmから44mmが主流のコンセプトのなかでは小ぶりにあたる。
注目されたのは、コンセプトのケースに初めてフロステッドゴールド仕上げが用いられた点である。これはフィレンツェに由来する装飾技法で、ダイヤモンドの先端を持つ工具で金の表面に微細なくぼみを刻み、宝飾のような輝きを生む。ジュエリーデザイナーのカロリーナ・ブッチが時計向けに応用したものである。
系譜のなかでの位置
2020年前後、ルノー&パピはフライング・トゥールビヨンを軸に複数のキャリバーを展開していた。中央ローターを備えた自動巻のCal. 2950はコード11.59やロイヤルオークに、GMT機構を加えた手巻のCal. 2954はコンセプト フライング トゥールビヨン GMTに搭載される。Cal. 2964は、これらと設計思想を共有しつつ、装飾と寸法を38.5mmのケースに最適化した手巻仕様にあたる。各キャリバーは機能と外装の違いとして整理されるべきもので、優劣で語られる性格のものではない。
派生Cal. 2982へ
Cal. 2964の設計は、後年の派生へと受け継がれる。2026年、オーデマ ピゲは東京を拠点とするブランド、アンブッシュのユンとヴァーバルと協業し、ロイヤルオーク コンセプト フライング トゥールビヨンの限定モデルを発表した。搭載されるCal. 2982はCal. 2964を基礎とし、振動数21,600vph (3Hz)とパワーリザーブ72時間を引き継ぐ。石数を1つ加えるとともに、アルミニウム製の籠に赤いアルマイト加工を施した。赤い籠の採用は、オーデマ ピゲにとって初の試みとされる。
技術解説
フライング・トゥールビヨンの構造
Cal. 2964の核は、6時位置に配されたフライング・トゥールビヨンである。トゥールビヨンとは、脱進機(エネルギーを一定間隔で解き放つ機構)とテンプ(振動して速度を司る調速車)を回転籠に収め、姿勢差による重力の影響を平均化する装置をいう。通常のトゥールビヨンが籠を上下の受けで支えるのに対し、フライング式は上側の受けを省き、下からのみ片持ちで支持する。そのぶん籠が宙に浮いて見える一方、上受けがない構造は籠を支える下側の軸受に高い精度を要求する。
籠の内部では、テンプとヒゲゼンマイ(渦巻状の調速ばね)が一体となって振動を刻む。この調速系ごと籠が回転することで、姿勢による誤差が時間平均でならされていく。Cal. 2964では、その籠が同心円状に肉抜きされ、上面にブリリアントカットのダイヤモンドが配される。装飾と機構が一体となった設計であり、文字盤側からその回転を直接観察できる。トゥールビヨンの籠は一般に毎分1回転し、その動き自体が秒の歩みを映す役割も帯びる。
振動数とパワーリザーブ
振動数は21,600vph (3Hz)。テンプが1秒間に3回、毎時21,600回振動することを意味する。現代の実用機に多い28,800vph (4Hz)よりも緩やかで、回転籠を抱えるトゥールビヨンには伝統的に選ばれてきた領域にあたる。低めの振動数は、籠の慣性負荷とエネルギー効率の釣り合いをとるうえで理にかなうとされる。
手巻機構が生むパワーリザーブは72時間である。自動巻のローターを持たないぶん、構造はムーブメントの意匠と容積の自由度に寄与する。リューズからの巻き上げで主ゼンマイにエネルギーを蓄え、3日近い駆動を確保する。
仕上げと構成
ムーブメントは207点の部品と17石で構成される。ブリッジは、文字盤の同心円モチーフと呼応するように、浮き彫りの同心円とフロステッド仕上げで整えられる。地板から立ち上がる面取り(シャンファー)や磨きは、ルノー&パピが手作業で仕上げる領域である。フロステッドの地と磨き上げた面取りの対比が、ガンメタル調のムーブメントに陰影を与える。ガンメタル調の地に同心円が走る構成は、サファイアクリスタルの裏蓋を通して鑑賞できる。
機能は時・分・フライング・トゥールビヨンに絞られ、日付やその他の表示を持たない。表示を最小限にとどめることで、籠の動きと仕上げそのものを主役に据えた構成といえる。寸法は38.5mmのコンセプトケースに収まるよう最適化され、限られた容積のなかで装飾密度を確保している。