設計思想
高級化戦略の中で生まれたグランドカレラ
グランドカレラは2008年、TAGホイヤーをより上の価格帯へ押し上げる戦略商品として登場した。シリーズの全モデルが機械式かつCOSC(スイス公式クロノメーター検定)認定という構成は、当時の同社では異例の徹底ぶりだった。最大の特徴は「RS(ローテーティング・システム)」と呼ばれる表示方式である。針の代わりに回転ディスクでスモールセコンドやクロノグラフ分計を示すこの機構は、GTカーの計器盤を意識したもので、シリーズの設計言語そのものだった。
ベースとなったCAV518Bと、青という選択
CAV518H.FC6273は、この43mmクロノグラフの黒チタン仕様CAV518B.FC6237を基礎とする派生限定版である。ベース機が赤い秒針と赤ステッチで黒を引き締めていたのに対し、本機はそのアクセントカラーをすべて青へ置き換えた。ベゼルの文字、クロノグラフ秒針、ストラップのステッチが青で統一され、黒一色のケースに冷たい緊張感を与えている。愛好家の記録によれば、グランドカレラの番号入り限定版は9種が確認されており、本機はその1つにあたる。姉妹機として、同じ仕様で差し色を黄にしたCAV518J.FC6274が仏独など欧州大陸市場向けに、やはり150本限定で用意された。なお、よく似た橙の差し色を持つCAV518K.FC6268は番号入り限定ではない通常派生であり、混同されやすいが別系統の存在である。
「RS150」という名の意味
モデル名のRS150は、限定数150本に由来するとされる。一方で、本機が流通した時期はTAGホイヤー(1860年エドゥアール・ホイヤー創業)の150周年にあたる2010年前後と重なっており、この数字に周年の含意を読む見方もある。公式資料が乏しく確定はできないが、150本・150周年という二重の符合が、この限定版の性格をよく物語っている。
カタログに載らなかった終章の1本
グランドカレラの限定版は正規カタログに一切掲載されず、各市場の販売網を通じて静かに流通した。シリーズ自体も2012年以降は新作がほぼ途絶え、2015-2016年版カタログを最後に姿を消す。英国だけに150本という極端に狭い流通は、シリーズが拡大期から収束期へ向かう中での、市場別の最後の試みだったと位置づけられる。
意匠分析
本機の設計は、グランドカレラ クロノグラフの黒チタン仕様を土台に、差し色の入れ替えだけで印象を一変させた点に核心がある。43mmケースはグレード2チタン製で、表面には黒のチタニウムカーバイド被膜が施される。鋼の半分程度の軽さを持つチタンの採用により、この径としては装着時の重量感が抑えられている。
文字盤は黒。3時位置のスモールセコンドと9時位置のクロノグラフ30分計は、針ではなくコート・ド・ジュネーブ装飾の回転ディスクが扇形の窓の中で回る、シリーズ固有のRS表示である。その黒い面の中で、中央のクロノグラフ秒針だけが鮮やかな青に塗られ、計測中であることを一目で示す。ベゼルの刻印文字とアリゲーターストラップ(FC6273)のステッチにも同じ青が反復され、ベース機CAV518Bの赤とは異なる、硬質で静かな配色にまとめられている。一方でフォールディングクラスプは無被膜のスチール色のままで、黒で統一されたケースとの対比を指摘する声もある。
ムーブメントはETA2894-2を基礎にディスク表示機構を組み込んだCal.17 RS。毎時28,800振動 (4Hz)、パワーリザーブ約42時間で、COSC認定を受ける。シースルーバックは橋状の装飾プレート越しにローターを見せる二重構造で、限定番号(xxx/150)の刻印がこの裏蓋に入る。リューズはねじ込み式、防水は100m防水。日常使用を前提とした実用クロノグラフの骨格は、ベース機から変わっていない。
系譜と歴史
グランドカレラのシリーズ自体は2008年に発表され、CAV518H.FC6273はその派生限定版として後年に加わった。本機は正規カタログに一度も掲載されなかったため、公式な発表年月を特定できる一次資料は乏しい。ブランド創業150周年にあたる2010年から2011年頃に英国市場へ投入されたと伝わり、2011年中の購入記録や、2012年初頭の愛好家コミュニティでの実機報告が確認できることから、遅くとも2011年には流通していたとみられる。
生産は150本のみで、各個体の裏蓋には限定番号が刻まれる。流通は英国の正規販売網に限られ、ほぼ同時期に差し色違いの姉妹機CAV518J.FC6274が仏独など欧州大陸市場で、同じく150本限定で販売された。仕様変更を伴うほどの生産期間はなく、単一仕様のまま完売して終わった一過性の限定版である。
母体であるグランドカレラのコレクションは2012-2013年版カタログを境に縮小へ向かい、2015-2016年版カタログへの掲載を最後に生産を終えた。本機は当然ながら現行品ではなく、新品としての供給は終了して久しい。150本という生産数の少なさから市場で見かける機会は稀で、グランドカレラの限定版の中でも実機の確認例が特に少ない1本とされている。