TAG ホイヤー買収
スイスの時計メーカーを救ったのは時計業界ではなく、F1や航空に関わる先端技術のグループだった。
概要
Overview1985年、工業グループのTAGがスイスの時計メーカー、ホイヤーを買収し、ブランドと社名をTAGホイヤーへと改めた。ホイヤーはモータースポーツの計時で知られたクロノグラフの作り手だったが、クォーツ危機で経営が傾き、1982年には創業家のジャック・ホイヤーが経営権を手放していた。新たな親会社のTAGはF1や航空に関わる異業種で、時計を量産ブランドとして立て直す道を選ぶ。製品を刷新し、手の届くスポーツウォッチで世界の販売を伸ばした。スイス時計産業が外部資本のもとで再編されていく過程の一例であり、後にLVMH傘下へ進む高級グループ化の前段でもあった。
背景
Backgroundホイヤーは1860年創業のスイスの時計メーカーで、ストップウォッチとクロノグラフ、とりわけモータースポーツの計時で名を知られていた。1960年代から70年代にかけては、レース界との結び付きを背景に隆盛を迎える。
その足元を崩したのがクォーツ危機だった。安価な電子式時計が市場を覆い、機械式クロノグラフを主力とするメーカーは大きな打撃を受ける。スイスフランの高騰や生産上の問題も重なり、ホイヤーの経営は1970年代末から80年代初頭にかけて急速に悪化した。
1982年、創業家のジャック・ホイヤーは会社を手放すことを迫られる。買い手はピアジェやヌーベル・レマニアを含む投資家グループで、これにより創業家による経営は途切れた。カレラやモナコを送り出してきた経営者の退場は、一族の歴史の一区切りでもあった。
もっとも、この投資家グループにとってホイヤーは本来の狙いではなく、ブランドは明確な方向を欠いたまま、数年のうちに再び売却の対象となった。
出来事
The Event1985年、投資家グループはホイヤーの株式をTAGグループへ手放し、TAGが過半を握った。TAGはフランス語のTechniques d'Avant Garde(先端技術)の頭文字で、1977年にアクラム・オッジェが設立し、息子のマンスール・オッジェが率いるグループである。本業は時計ではなく、F1や航空サービスに関わる先端技術の領域にあった。1980年代半ばにはマクラーレンのF1チームと組み、選手権の上位を争っていた。モータースポーツとの縁が深い点で、レース計時を看板としてきたホイヤーとは相性がよかった。
買収後、TAGは自社の略号とホイヤーの名を組み合わせ、ブランドと社名をTAGホイヤーへと改める。社名とブランドの一新は1985年だが、TAGホイヤーの名を冠した最初の時計が出るのは翌1986年とされる。
新体制はブランドの立て直しに動く。狙いは複雑機構や高級路線ではなく、手の届く価格帯のスポーツウォッチだった。製品ラインを刷新し、レースのイメージを前面に出した展開で、より広い客層に向かう。1986年のフォーミュラ1は、その方向を象徴するシリーズである。色鮮やかな樹脂や金属を用いた構成で、若い層や日常使いの購入者を狙っていた。
意義
SignificanceTAGホイヤーの誕生が示したのは、危機を脱する道がスイス時計業界の内部だけにはなかったという事実である。ASUAGとSSIHの統合のように業界内で再編が進む一方で、ホイヤーは時計とは無縁の資本によって救われた。外部の産業資本がブランドを買い、用途と価格帯を定め直す——この図式は、後の時計産業の所有構造を先取りしていた。
立て直しは販売の回復となって表れた。TAGホイヤーは世界の売り上げを伸ばし、量産規模を保ちながらブランドの価値を取り戻していった。スポーツ計時の遺産を抱えた中堅メーカーが、新たな客層を得て息を吹き返した格好である。
この成功は資本の関心も呼び込む。1996年には株式を公開し、1999年にはフランスの高級品グループLVMHが買収する。取引額はおよそ7億4000万ドルと伝えられ、ブランドはより大きな複合企業の一翼へと組み込まれた。スイス時計が単独の家業から巨大グループの傘下へ移っていく流れの、分かりやすい縮図といえる。
創業家との縁も後に結び直された。2001年、かつて会社を手放したジャック・ホイヤーが名誉会長として迎えられている。創業者の名はブランドに残り、所有と経営の主体だけが移り変わってきた。