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腕時計史 · MILESTONE — 第4章 黄金期
1962

オメガ 有人宇宙飛行に同行

公式装備ではなく宇宙飛行士が自費で選んだ一本が、NASA採用に二年以上先んじてオメガを初めて宇宙へ運んだ。

§ 00 Overview

1962年10月3日、マーキュリー・アトラス8号(シグマ7)で地球を6周したウォルター・シラーは、私物のオメガ スピードマスターCK2998を着けていた。現存する記録ではこれがオメガ初の宇宙飛行である。当時のNASAは公式の時計を定めておらず、飛行士は計時器具を自ら選んで買っていた。シラーや同僚のクーパーらは、レース用クロノグラフとして売られていたスピードマスターをヒューストンで買い求めた。船内タイマーを補う予備としての携行であり、宣伝でも公式採用でもない。この偶発的な同行が、後の正式採用へ向かう伏線となった。

§ 01 Background

1958年に始まったマーキュリー計画は、米国初の有人宇宙飛行を目指していた。計画初期のNASAは、飛行士に支給する公式の腕時計を定めていない。船内には独自の計時装置が組み込まれており、腕時計はあくまで予備の位置づけだった。そのため飛行士は、計時器具を自らの判断で選び、私費で購入することが認められていた。

当時の電子計算機はまだ未成熟で、軌道上での時間管理には人手による計測が欠かせなかった。エンジン噴射の秒数や姿勢制御のタイミングを測るには、信頼できるクロノグラフが要る。飛行士たちは、堅牢で読みやすく、ストップウォッチ機能を備えた市販品を探していた。

一方のスピードマスターは、1957年に自動車競技向けのクロノグラフとして発表された製品である。ベゼルのタキメーターは速度計算のための目盛りで、本来は宇宙とは無縁の道具だった。オメガの側に宇宙計画との接点はなく、軍や航空の分野でこそ実績はあったが、この時点で同社の名が宇宙と結び付く理由は、どこにも存在しなかった。

§ 02 The Event

1962年の秋、シラーやゴードン・クーパーら数名の飛行士は、ヒューストンの店で市販のクロノグラフを各自買い求めた。選ばれたのはスピードマスターの第二世代にあたるCK2998で、いずれも個人の購入による私物だった。手巻きのこのクロノグラフを、NASAが選定したわけでも、メーカーが働きかけて供給したわけでもない。

1962年10月3日、シラーはマーキュリー・アトラス8号、コールサイン『シグマ7』で打ち上げられた。米国にとって3度目の有人軌道飛行にあたる。単独搭乗の機体は地球を6周し、飛行時間は9時間13分11秒に及ぶ。その手首にあったのが、自費で買ったCK2998である。腕時計は船内タイマーの予備として携行され、軌道上で問題なく作動した。これが、現存する記録に残るオメガ初の宇宙飛行となった。帰還後、太平洋で回収された飛行士がなおCK2998を着けている姿が、回収艦上で撮られたNASAの写真に残っている。

翌1963年5月15日、クーパーはマーキュリー計画最後の飛行『フェイス7』に臨んだ。やはり私物のCK2998を着け、約34時間で地球を22周する、計画で最長の有人飛行となった。この飛行では、音叉式のブローバ アキュトロンも併せて持ち込まれている。機械式のオメガと電子式のアキュトロンを比べる狙いがあったと伝えられる。

§ 03 Significance

この同行が市場に残した意味は、出来事の規模よりも、その由来にある。スピードマスターは、メーカーの売り込みではなく、使い手である飛行士が自ら選んだことで宇宙へ達した。企業が仕立てた結び付きではなく、現場で製品の素性が試された結果である。

この事実は、後年オメガが築く宇宙との物語の土台となった。1965年にNASAが同モデルを正式採用すると、ブランドは『初の宇宙飛行』と『正式採用』を一続きの物語として語り、その語りは数十年にわたり宣伝の柱であり続けた。もっとも、この逸話を冠した専用モデルが現れるのは2012年で、市場が1962年の出来事に価値を見いだしたのは事後のことだった。

皮肉なのは、その起点が周到な計画ではなく、市販のレース用クロノグラフの偶発的な携行だった点である。クォーツの激震を前にしたスイスの一ブランドにとって、この結び付きは長く残る拠り所となる。ここで生まれた事実が、正式採用、そして月面着陸の時計という後年の位置づけへと接続していく。

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