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腕時計史 · MILESTONE — 第0章 前史
1704

宝石軸受の特許

摩耗という宿命に、宝石の硬さで応える——1704年の特許は、時計の精度を時間とともに保つ思想の出発点となった。

§ 00 Overview

1704年5月1日、ニコラ・ファシオ・ド・デュイリエとドゥボーフル兄弟は、宝石を時計の軸受に用いる方法で英国特許を得た。当時の歯車は真鍮の地板に開けた穴で軸を受けており、金属同士の摩擦が摩耗を生み、時とともに精度を損なっていた。彼らはルビーなどの硬い宝石に穴を穿ち、その中で軸を回すことで摩擦と摩耗を抑えた。穿孔は熟練を要し、天然宝石は高価だったため普及には時間を要したが、原理は精度を長く保つ手段として時計学に根づいた。やがて石数を記す習慣も広まり、今日もほとんどの機械式時計が宝石軸受を備える。

§ 01 Background

18世紀初頭の時計は、真鍮の地板に開けた穴へ歯車の軸(ピボット)を直接通し、その中で回転させる構造だった。歯車は金属、受ける穴も金属である。金属同士が擦れ合えば摩耗は避けられない。回転の速い歯車ほど穴は早く広がり、軸のぶれや噛み合いの狂いを招いた。当時の潤滑油は動物や植物に由来し、時とともに乾き、固まり、あるいは酸化して粘った。油が劣化すれば摩擦はさらに増し、摩耗を加速させた。

この摩耗が精度に直結した。穴が広がれば歯車の位置がわずかにずれ、伝わる力が乱れる。テンプの振りに届く力が一定でなければ、進みや遅れが生じる。新品では正確でも、使ううちに狂っていく。

解決の鍵は、軸を受ける部分により硬く滑らかな材料を据えることにあった。当時のロンドンには、フランスから逃れたユグノーの時計師が多く集まり、技術の蓄積があった。一方で王立協会を中心に科学への関心も高く、物理や数学の知見が職人の手仕事へ流れ込む素地があった。摩擦と摩耗という問題を材料の選択で解こうとする発想は、こうした環境から生まれた。

§ 02 The Event

1704年5月1日、英国でひとつの特許が認められた。特許番号371、期間は14年。取得者は、スイス出身の数学者ニコラ・ファシオ・ド・デュイリエと、ロンドン・ソーホーで工房を営むユグノーの時計師ピエールとジャコブのドゥボーフル兄弟である。内容は、宝石を穿って懐中時計や置き時計の軸受とする方法だった。

ファシオは、金属同士の摩擦が摩耗と精度低下を招くことに着目していた。そこで硬いルビーに穴を開け、その中で軸を回せば、金属の穴より摩耗が抑えられると考えた。穿孔の手法はこうである。ろうで宝石を旋盤のチャックに固定し、ダイヤモンドを先につけた工具を回転させて少しずつ穴を穿つ。地道で根気のいる作業だった。素材にはルビーのほか、サファイアやダイヤモンド、ガーネットも用いられた。

こうして仕立てた宝石を地板の穴に嵌め込み、歯車の軸をその中で回す。金属で受けていた部分を宝石で受けることで、摩擦と摩耗がともに減る。考案者のファシオは王立協会の会員で、ニュートンとも親交があった。

ただし、彼らの野心はこの特許にとどまらなかった。同年12月、3人は時計に宝石を用いる権利を広く独占しようと、議会へ法案を請願した。これに時計師組合が反発する。組合は、軸受に石を据えた古い時計を証拠として示し、宝石の使用が彼らの発明以前から存在したと主張した。請願は1705年1月に退けられ、独占の拡大は認められなかった。特許そのものは残ったが、宝石を用いる権利すべてを握る構想は実らなかった。

§ 03 Significance

宝石軸受の意義は、まず精度の持続にある。摩耗が減れば軸のぶれや伝達力の乱れが起きにくく、新品の精度が長く保たれた。部品の寿命も延び、修理の頻度が下がった。当初、宝石が据えられたのはテンプや脱進機など、最も速く動き負担の大きい部分に限られ、のちに他の軸受へも広げられていった。

もっとも、その普及には時間がかかった。穿孔は熟練を要し、天然宝石は高価で、量産には向かない。穿孔の技術はしばらく英国に集中し、宝石を備えた時計は英国製が優位に立った。やがて英国の職人が大陸へ招かれ、手法はスイスやフランスへ伝わっていく。

転機は1902年だった。オーギュスト・ヴェルヌイユが人工のルビーとサファイアを合成する手法を確立し、宝石軸受は一気に安価になった。今日では、ほとんどの機械式時計が合成ルビーの軸受を備える。1704年に示された原理は、素材を変えながら現代まで生き続けている。

宝石の数を文字盤やムーブメントに記す習慣も、普及の過程で生まれた。石数は品質の目安と見なされ、やがて17石や21石といった表記が定着する。一方で数の多さを売り物にする誇張も現れ、機能に寄与しない石を増やす例もあった。

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