インカブロック等 耐震機構の普及
時計でもっとも折れやすいテンプの軸先を、固定するのではなくばねで逃がす。1930年代に広まったこの発想が、腕時計を衝撃に強くした。
概要
Overviewテンプを支える細い軸先(ピボット)は、衝撃でまっさきに傷む部品である。落下で軸先が折れる故障は、長く修理現場の定番だった。1930年代、ラ・ショー=ド=フォンのフリッツ・マルティらが手がけたインカブロックが、この弱点に答えた。軸先を受ける石をばね付きの台座に載せ、衝撃のときは軸先ではなく太い肩部で力を受け止める仕組みである。特定の口径に縛られず既存のムーブメントへ後付けできる汎用性が普及を後押しし、Kif等の競合も現れた。耐震は機械式腕時計の堅牢性を底上げし、衝撃を恐れず使える時計の前提を整えた。
背景
Background機械式時計でもっとも繊細な部分は、調速を担うテンプの周辺にある。テンプは比較的重い輪を高速で往復させるが、その重さを受けるのは軸の両端にある髪の毛ほど細い軸先である。通常は石の軸受がこれを支え、摩擦を抑えて滑らかに回す。だが落下や打撃で大きな力が加わると、細い軸先は容易に折れた。軸先が一本でも欠ければ時計は止まり、軸(バランススタッフ)ごと打ち替える修理を要した。
この弱点は、時計が腕へ移るほど深刻になった。懐中時計は鎖でつながれ、ポケットの中でほぼ静止して保たれる。対して腕時計は、歩行や作業のあいだ絶えず振られ、机や扉にぶつかる。装身具から日常の道具へと用途が広がるほど、衝撃から調速機構を守る必要が増した。
衝撃対策の発想自体は新しくない。18世紀末、アブラアン=ルイ・ブレゲは軸受をばねで支えるパラシュート機構を考案している。19世紀末から20世紀初頭にも、各社が独自の耐震装置を試みた。ただし多くは特定のムーブメントに組み込まれた専用品で、業界全体が共有できる標準には至っていなかった。
出来事
The Event転機は1930年代のスイス、ラ・ショー=ド=フォンで訪れた。技師フリッツ・マルティは、勤め先のエレクション社で軸先保護の研究を続けていた。同社の経営が傾くと、マルティはジョルジュ・ブラウンシュヴァイクとともに新会社を起こす。後にポルテスカップと呼ばれるこの会社で、彼は耐震機構の改良を進めた。
完成した機構はインカブロックと名づけられた。名は『壊れない』を意味する語(incassable)に由来すると伝えられる。商標としての登録は1933年とされ、改良型の特許もその前後に取得された。
仕組みはこうである。テンプの軸先を受ける穴石と受石を、台板に固定せず、ばね付きの台座に載せる。通常はばねが石を所定の位置へ押さえ、軸は正しく支えられる。衝撃が加わると石と軸先はわずかに逃げ、軸の太い肩部が周囲の固定面に当たって力を受け止める。細い軸先には過大な力が及ばない。衝撃が去ればばねが石を中心へ戻し、元の位置に復帰する。
インカブロックの利点は、円錐形の受けと一本のばねで横と縦の衝撃を同時に処理した点にある。従来は方向ごとに別のばねを要したが、円錐が横向きの力を縦へ逃がし、構造を簡素にした。もう一つの強みは、特定の口径に縛られず既存のムーブメントへ後付けできる汎用性だった。これにより耐震は一部の自社設計の工夫から、業界全体が共有できる部品へと広がる。
成功は競合を呼んだ。1935年にはばね形状の異なるショックレジスト、1937年にはシマフレックスが現れ、やがてKifがインカブロックと並ぶ供給元に育った。耐震装置は1930年代を通じて各社の選択肢となっていった。
意義
Significance耐震機構の普及がもたらしたのは、堅牢性の標準化である。軸先の破損による故障が減り、時計は丁寧に扱う精密品から、日常に耐える道具へと近づいた。1950年代には耐震が良質な腕時計の標準的な装備となり、文字盤やカタログの『ショックレジスト』表記が品質の手がかりとして使われた。1960年代には50種を超える方式が並んだと伝わるが、原理はおおむね共通していた。やがて安価な量産機にも広がり、衝撃に強いことは時計のごく当たり前の前提になった。
技術としての継承は明快である。ばねで石を逃がし、太い肩部で衝撃を受け止める基本は、ブレゲのパラシュートからインカブロック、Kifへと受け継がれた。日本のメーカーも独自方式を育て、シチズンのパラショックやセイコーのダイヤショックが続く。今日のエタショックやパラフレックス、ニヴァショックも、同じ考え方の上にある。
この技術は、本章が並べる自動巻と防水とともに、腕時計を実用品へ押し上げた一本の柱である。巻き上げを腕の動きに委ね、水と埃を締め出し、衝撃を逃がす。三つがそろって初めて、腕時計は手間をかけず身につけたまま使える機械になった。耐震は目立つ機構ではないが、日々の信頼を支える土台として現代まで働き続けている。