シチズン パラショック
壊れやすいテンプの軸を守る耐震技術を国産化し、空から落として証明する——シチズンは堅牢性を目に見える形で示した。
概要
Overviewパラショックは、1956年4月にシチズンが発売した腕時計の耐震装置である。機械式時計の弱点は、テンプを支えるテン真の細い軸先で、落下や衝撃で折れやすい。パラショックは、その軸受を板バネで押さえ、衝撃時に逃がして吸収する。スイスのインカブロックに連なる耐震装置を国産で実現したもので、シチズンはこれを国産初の耐震装置付腕時計と位置づけた。優秀さを示すため同年6月には、大阪御堂筋のデパート前で地上30m上空のヘリコプターから時計を落とす実演を催し、その後も各地で繰り返した。堅牢性という価値を、技術と宣伝の両面から広めた出来事である。
背景
Background機械式時計の心臓部はテンプであり、これを支えるテン真の軸先(ホゾ)は髪ほどに細い。摩擦を減らすために細く削られたこの軸先は、落下や打撃を受けると折れやすい。テン真が折れれば時計は止まる。携帯される時計にとって、衝撃への弱さは長く避けがたい欠点だった。
この弱点に対しては、すでにスイスで答えが用意されていた。1934年に考案されたインカブロックに代表される耐震装置である。テン真の軸受石を板バネで押さえ、強い衝撃が加わると軸受石が逃げて力を吸収し、バネの力で元に戻る。折れやすい軸先を守るこの仕組みは、欧州の高級機から普及していった。
一方、戦後の日本の時計産業は復興の途上にあった。スイスに学びながら自国の量産技術を築こうとする時期で、精度と並んで防水や耐震が業界の焦点となっていた。舶来品に頼らず、堅牢さを支える基幹技術を自前で持つこと。それが国産時計の信頼を確立するうえで欠かせない課題だった。
出来事
The Event1956年4月、シチズンは耐震装置パラショックを搭載した腕時計を発売した。テン真の軸受を守るこの機構は、スイスのインカブロックと同じ系統に属し、それをシチズンが自社で設計・製造したものだった。同社はこれを国産初の耐震装置付腕時計と位置づけ、堅牢性を製品の核に据えた。
だが耐震装置は文字盤の裏に隠れ、その働きは目には見えない。そこでシチズンは、堅牢さを誰もが確かめられる形で示そうとした。発売と同じ1956年、各地で耐震投下実験が始まる。なかでも知られるのが同年6月、大阪御堂筋のデパート前で行われた実演である。地上30mの高さに静止させたヘリコプターから、パラショック付きの腕時計を路上へ落とす。見守る群衆の前で、落ちた時計の多くがそのまま動き続けた。
投下実演はその後も各地で繰り返された。時の記念日に合わせた催しとして、大阪や神戸、京都、和歌山といった都市でも開かれている。会場では「落とした時計のうち何個が動いているか」を当てる懸賞クイズが添えられ、当たった人には腕時計などの賞品が用意された。残る新聞記事によれば、ヘリコプターからの投下は日本各地で延べ数百個に及び、そのほとんどが故障なく動いたと伝えられる。見えない耐震性能を、空からの落下という光景に置き換えたこの宣伝が、パラショックの名を広めた。
意義
Significanceパラショックの意義は、堅牢さを支える基幹技術を国産でまかなえるようになった点にある。テン真を守る耐震装置を自社で設計・製造したことは、舶来技術への依存から一歩抜け出す節目だった。以後、耐震は国産機の標準装備へと向かい、日常の衝撃に耐える時計が当たり前になっていく。
技術と並んで残ったのが、性能を実演で証明する手法である。空から落としても動き続ける時計を見せる宣伝は、言葉よりも雄弁に堅牢性を伝えた。シチズンは1959年の防水時計パラウォーターでも同様に性能の実証を前面に出しており、見せて納得させる売り方は国産メーカーの一つの型となった。
耐震装置としてのパラショックは、インカブロックやセイコーのダイヤショックと並ぶ固有名の系統として定着し、シチズン機の信頼を長く支えた。後発として出発した日本の時計が、基幹技術の国産化と宣伝の工夫を重ねて存在感を高めていく。そのなかで堅牢性をめぐるこの一歩は、防水や深い潜水へ向かう後年のプロ向け実用時計へ続く、土台の一つとなった。