MT5612
2015年登場、70時間駆動とシリコン製ヒゲゼンマイを備えた、チューダー初の自社製自動巻キャリバー
MT5612は、2015年に発表されたチューダー初の自社製自動巻キャリバーである。長年ETA製ムーブメントを採用してきた同社が、独立した生産体制を志向して開発した。28,800vph (4Hz) で駆動し、約70時間のパワーリザーブと26石を備える。慣性可変テンプとシリコン製ヒゲゼンマイを両持ちのブリッジで支え、耐衝撃性と耐磁性を高めている。チューダーとして初めてCOSC(スイス公式クロノメーター検定協会)認定を取得した点も大きい。ペラゴスやブラックベイ・スティールなど現行の中核モデルに広く搭載され、製造は関連会社Kenissiが担う。
| Maker | Tudor |
|---|---|
| Reference | MT5612 |
| Type | Automatic |
| Display | Analog |
| Frequency | 28,800 bph (4 Hz) |
| Jewels | 26 石 |
| Power reserve | 70 h |
| Movement ⌀ | 31.8 mm |
| Hands | Hours, Minutes, Seconds |
| Date | Date |
| Additional | Chronometer |
系譜と歴史
1. ETAへの依存からの転換
チューダーは1926年、ロレックスの創業者ハンス・ウイルスドルフによって設立された。ロレックスより手の届きやすい実用時計という位置づけを長く保ち、ムーブメントはETAをはじめとする外部供給品に依拠してきた。その構図が変わるのは2010年である。同社は機械式ムーブメントの自社生産能力を築く大規模なプロジェクトを始動させた。背景には、業界全体でETA(スウォッチグループ傘下)による外部供給縮小が見込まれ、供給リスクを抱える各社が自立を迫られていた事情がある。チューダーにとって自社製化は、技術的独立と垂直統合への一歩であった。
2. 2015年、二つの顔をもつ初世代
成果が公になったのは2015年のバーゼルワールドである。初の自社製キャリバーは二つの仕様で発表された。パワーリザーブ表示と日付を備えるMT5621はノースフラッグに、日付のみを備えるMT5612はペラゴスに搭載された。両者は同一の設計思想を共有し、MT5612はMT5621からパワーリザーブ表示を省いた姉妹機にあたる。いずれもチューダーとして史上初めてCOSC認定を受けた点が画期であった。約70時間のパワーリザーブは「金曜の夜に外し、月曜の朝に巻き直さず使える」実用性を狙ったもので、第2世代ペラゴス(Ref.25600TN)では先代のETA Cal.2824-2に代わってMT5612が収まった。同年、ペラゴスはジュネーブ時計グランプリ(GPHG)のスポーツウォッチ賞を受けている。
3. 製造を担うKenissi
翌2016年、チューダーはムーブメントの開発と生産を担う組織としてKenissiを設立した。社名はギリシャ語で運動を意味する「kinesis」に由来する。このため自社製キャリバーは厳密には「自社(in-house)」ではなく「マニュファクチュール」と呼び分けられる。製造主体はKenissiだがチューダーがKenissiの株式を保有する関係にある。Kenissiの技術基盤はロレックスグループの蓄積を反映し、フリースプラングの慣性可変テンプ、両持ちのテンプ受け、シリコン製ヒゲゼンマイといった設計を共有する。拠点はロレックス所有地にも近いル・ロックルに置かれ、後にブライトリングやシャネル(2018年に資本参加、J12用Cal.12.1を供給)、ノルケイン、タグ・ホイヤー、フォルティスなど外部ブランドへも展開していった。
4. MT56ファミリーのなかで
MT5612は、Kenissiが手がける大型のMT56系ファミリーに属し、日付機能を備える基準機である。近縁には、日付を省き石数を一つ減らしたMT5602(ブラックベイ)、ブロンズモデル向けのMT5601、GMT機構を加えたMT5652、コラムホイールと垂直クラッチを採るクロノグラフMT5813などが連なる。左リューズのペラゴスLHDには、MT5612に手を加えた仕様が搭載された。装飾よりも堅牢性と信頼性を優先する姿勢は、2010年代に各ブランドが自社製化へ向かった潮流のなかでも、道具としての時計を志向するチューダーらしい選択といえる。
技術解説
基本構成
MT5612は、双方向巻き上げローターを備える自動巻きムーブメントである。直径31.8mm、厚さ6.5mm、石数は26石。毎時28,800振動 (4Hz) で時を刻み、約70時間のパワーリザーブをもつ。機能は時・分・センターセコンドに加え、3時位置に瞬間日送り式の日付を備える。4Hzは1秒間に8回テンプが往復する速さを意味し、外乱に対する安定と巻き上げ効率の両立を狙った、現代の実用機に広く採られる振動数である。
調速機構 — フリースプラングの慣性可変テンプ
MT5612の核心は調速機にある。テンプ(往復回転して時間の基準をつくる振り子に相当する部品)は、緩急針を持たないフリースプラング方式を採る。歩度の調整は、テンプの輪に組み込んだ慣性可変式の小錘を回して慣性モーメントを変える方式で行う。緩急針による方式に比べ、衝撃で調整が狂いにくい利点がある。ヒゲゼンマイ(テンプの振動周期を決める渦巻きバネ)にはシリコン製を用いる。シリコンは非磁性で温度変化による特性のぶれが小さく、磁気と温度の双方に対して安定した精度を支える。このテンプとヒゲは、両端で固定される両持ちのブリッジ(トラバーシングブリッジ)で受けられ、片持ち式より高い耐衝撃性が与えられている。
香箱と巻き上げ
約70時間という長めのパワーリザーブは、香箱(ゼンマイを収める部品)の容量設計と輪列効率に支えられる。双方向ローターは腕の動きを左右いずれの回転でも巻き上げに変換し、日常使用での持続性を確保する。時刻合わせの際にはストップセコンド(ハック機構)が働き、秒針を停止させて秒単位の正確な同期を可能とする。日付は急速送りに対応する。
認定と仕上げ
MT5612はCOSC(スイス公式クロノメーター検定協会)の認定を受ける。これはチューダーにとって初のクロノメーター認定機であり、日差マイナス4秒からプラス6秒の基準を満たすことを意味する。仕上げは、観賞性を競うオートオルロジュリーの装飾とは方向が異なる。サンドブラスト加工のマットな地に、サンレイ仕上げや透かし彫りのローターを組み合わせ、精度と堅牢性を視覚的に語る意匠とした。コートドジュネーブのような伝統装飾を抑え、道具としての性格を前面に出す点に、このキャリバーの性格がよく表れている。
安定性と保守性の根拠
緩急針を持たないフリースプラング構造は、繊細な調整子を排することで、長期にわたり歩度が崩れにくいという利点をもたらす。またヒゲゼンマイ自体が非磁性のシリコンであるため、従来機が頼った軟鉄製インナーケースのような耐磁シールドに依存せずとも、磁場の影響を受けにくい構造的耐磁性が確保される。こうした設計は派手さこそないが、定期的な精度維持と整備性を見据えた、実用機としての合理に貫かれている。