HMX
2015年、MB&Fが創業10周年に放った、サファイアプリズムで時刻を立ち上げるジャンピングアワー・エンジン
HMXエンジンは、2015年にMB&Fが創業10周年を記念して発表した、ジャンピングアワー機構を備える自動巻きである。Sellita製のベースムーブメントに、MB&Fが自社開発した時刻表示モジュールを組み合わせる構成を採る。28,800vph (4Hz)、パワーリザーブ42時間、構成部品223点、29石。最大の特徴は、ムーブメント上面で回転する時分のディスクを、2枚のサファイアプリズムが垂直方向へ反射・拡大する光学表示にある。双方向ジャンピングアワーとトレーリングミニッツを、スーパーカーのエンジンを思わせる意匠の下に収めた。搭載機はHMXと、2016年のHMX Black Badgerである。
| Maker | MB&F |
|---|---|
| Reference | HMX |
| Type | Automatic |
| Display | Analog |
| Frequency | 28,800 bph (4 Hz) |
| Jewels | 29 石 |
| Power reserve | 42 h |
| Hands | Minutes, Jumping Hours |
系譜と歴史
1. 創業10周年という原点
MB&Fは、2005年にマキシミリアン・ブッサーが立ち上げた独立系である。代表作は二つの系統に分かれる。立体的な機構を核とするHorological Machine、円形時計を再解釈したLegacy Machineである。
HMXは、その創業10周年にあたる2015年の記念作として登場した。「X」はローマ数字の10を指す。ブッサーは本作を、初期から支えた顧客への返礼と位置づけた。価格はおおむね製造原価に近い水準に抑えられ、当初は黒・緑・青・赤の4色各20本、計80本の限定で供給された。派手な新機軸ではなく、自社の歩みを振り返る性格の一作である。
2. HM5から継いだ光学表示の系譜
HMXの時刻表示は、2012年のHM5「On the Road Again」の延長線上にある。HM5は、1970年代のスーパーカーと、同時代の電子時計アミダ・デジトレンドに着想を得た一作であった。その立体エンジンは、クロノードのジャン=フランソワ・モジョンとヴァンサン・ブカールが手がけた。動力にはソーウインド(ジラール・ペルゴ)系の輪列を用いていた。
HMXは、この発想を継ぎながら細部を変えている。HM5が1枚のプリズムで時刻を映したのに対し、HMXは2枚のプリズムを用いる。ベースもソーウインド系からSellita製へと替わった。表示モジュールは、MB&Fの自社開発として案内されている。
3. 自社モジュールと汎用ベースの結節点
HMXのエンジンは、自社製の連番キャリバーでもなければ、汎用ムーブメントそのものでもない。量産されるSellitaの輪列を動力源としつつ、個性の宿るジャンピングアワー表示は自社で組み上げる。両者を束ねたハイブリッドの構成である。
この手法は、独立系が複雑表示を現実的な価格で実現する際の常道でもある。動力源には実績ある汎用ベースを充て、意匠と機構の核となる上部のモジュールに資源を集中させる。HMXが記念作として手の届く価格に収まった背景には、この割り切った設計判断がある。
4. Black Badgerによる再解釈
2016年、MB&Fは発光素材の専門家ジェームズ・トンプソン、通称ブラックバッジャーとの協業でHMXを再構成した。エンジン上面の「ロッカーカバー」を、トンプソン独自の高効率夜光ブロックから削り出した一作である。Radar Green、Phantom Blue、Purple Reignの3色が各18本ずつ用意された。昼は鮮烈な発色を、夜はプリズム越しに時刻を浮かび上がらせる背光を与える試みであった。
技術解説
HMXエンジンの土台は、Sellita製の自動巻きムーブメントである。テンプ(時を刻む振動体)は28,800vph (4Hz)で振動する。4Hzとは、テンプが1秒間に4往復、すなわち8回振れる速さを指す。高い振動数は外乱への復元力を高め、精度の安定に寄与する。巻き上げは22K金製のローターが担い、裏面のサファイアクリスタル越しに見える。パワーリザーブは42時間、構成部品は223点、石数は29石である。
この土台の上に、MB&Fが自社開発した時刻表示モジュールが載る。ここがHMXの核心であり、ブランドの個性が集約された領域でもある。時と分を示す円盤は、ムーブメントの上面に水平に置かれている。汎用ベース単体よりも部品点数が多いのは、この表示モジュールが上乗せされるためである。通常であれば、文字盤を真上から覗き込まなければ時刻は読めない。
そこで用いられるのが、2枚のサファイアプリズムである。プリズムは光の進路を曲げる透明な光学部品で、ここでは45度の反射面が、水平に並ぶ数字を垂直方向へと立ち上げる。前面には拡大レンズが組み込まれ、数字を読みやすい大きさに引き伸ばす。プリズムには、歪みなく光を曲げるための光学グレードのサファイアが選ばれる。上面・前面・裏面のクリスタルには反射防止コーティングが施され、像のにじみを抑える。HM5で確立された20%拡大の発想を、左右2基のプリズムへと展開した格好である。
時刻の読み取り方そのものが、本作の設計意図を物語る。手首をハンドルに添えた姿勢で、表示面が運転者の側を向く。腕を返さずに時刻を一瞥できる、ドライバーズウォッチの発想である。時は正時ごとに瞬時に切り替わるジャンピングアワー、分は円盤が連続して送られるトレーリングミニッツで示される。MB&Fはこの表示を双方向ジャンピングアワーと呼んでいる。
上面の意匠は、スーパーカーのエンジンを模している。2基の「ロッカーカバー」が並び、その頂部にはクロームのオイル注入口を備える。この注入口は装飾にとどまらず、表示円盤の軸受へ給油するための実用開口でもある。曲面サファイアクリスタルが、この立体的なエンジンを覆う。
ケースはグレード5チタンとステンレススティールの複合で、寸法は46.8×44.3×20.7mm、30m防水を備える。MB&Fは公的なクロノメーター認定を受ける流儀を採らず、見えるエンジン部の手仕上げと造形に独立系工房の価値を置く。土台に実績ある汎用機を選び、表現の核に手をかけるという配分が、HMXの機構全体を貫く考え方である。